■あなたと・・・  
□投稿者/ Wナイト 一般人(5回)-(2010/01/24 23:44:56) 

空からは雨。 パラパラと疎らに、だが永遠と思えるほど降り続くそれは確実にあたしの体を濡らしていた。 快晴の空が広がった昼間とは打って変わって、雨雲が立ち込めた空を見上げた。 降り続く雨粒が顔にあたる。雨は、嫌いだ。 「……」 声の掛けようがなかった。 いや、正確に言うのなら掛ける言葉が出てこなかった。 その光景に息を呑み、ただ立ち尽くす。 目の前のあり得ない光景を頭の中で打ち消すばかり。 「…ハル」 視線を感じたのか、こちらを向いたその人の目は驚きを露にしていた。 そして、その声にもう一人も振り返る。 その人、いや彼女は確かにあたしの恋人だったはずだ。 この部屋へ入る前までは。 だが彼女は、知らない男と体を重ねていた。 「…お邪魔、しました」 咄嗟に出てきた言葉はそんな言葉で。 情けないことこの上ない。 おまけに言葉を吐き出したと同時に泣きそうになった。 絞りだした声が若干震えて、その場から静かに逃げ出した。 「ハル…!」 彼女の呼ぶ声が耳に纏わりつく。もう、何も聞きたくないのに。 振り返りもせずに一直線にドアへと向かった。 不思議と、涙は出なかった。 それ程の怒りも感じない。 彼女をほんとに好きだったはずなのに。 ただ悔しかった。 自分が女であることが。 外へ出ても雨は降りつづけていた。 やっぱり、雨は嫌いだ。 学校の屋上はあたしの逃げ場であり、サボり定番の場所だった。 誰も知らない。 誰にも教えてあげない。 秘密の鍵は、大好きな青空へ近づく小さないっぽだった。
「あ、ハルおっはよー」 教室に入ると一際大きな声で声を掛けられた。 目を向けると、そこに居たのはクラスメイトの若菜だった。 その周りにいる友達も一斉に振り返って口々に「おはよう」の声。 そんな光景を見ていると、昨日の出来事が夢のように思えた。 学校は何も変わらない、変わるはずもない。 当たり前だけど、変わったのはあたしと彼女の関係だけ。 とてもちっぽけなものだ。 「昨日メールしたのに、シカトしたでしょ」 不機嫌そうな顔をした若菜が近付いてきた。 夜に着信やらで携帯が鳴っていたのは知っていた。だけどその殆どが彼女からだったから放置していのだ。 そのうち若菜からのメールもあったのだろう。中を見ることもせずに今もそのままにしているから気づくこともなかった。 「そうだっけ?」 「そうだって」 「ごめん、ごめん。それで用事は?」 「んー別に大したことじゃないんだけど」 話しながら自分たちの席へ向かった。あたしは窓側の前から三番目。その前が若菜だ。 人懐っこい笑顔を見せながらいろんな話題を振ってくる若菜。 良く喋る姿を見ながら少しだけ安堵した。今はこうやって一方的に話してくれるほうが楽だ。 担任が教室へ来ると朝のホームルームが始まった。 そのままぼーっとしていると、嫌でも昨日のことを考えてしまう。 彼女、愛美先輩はひとつ上の先輩だった。何がきっかけに仲良くなったのかは忘れたけど確か向こうから声を掛けてきたんだ。 高校2年の夏、彼女と付き合い始めた。かわいくて隙だらけな人だった。 うちの学校は女子高だけど、先輩は共学の大学へと進んだ。 もちろん、男が放っておくわけなかったと言うわけだ。 高校3年成りたての自分には正直きつい。 「鷹宮、聞いてるか?」 窓の外に向けていた視線を無理矢理に教壇へ向けた。 面倒そうな顔した担任がこちらを向いている。 「聞いてまーす」 鷹宮遥 それがあたしの名前だ。 昨日の話を口にしたくはなかった。 けれど、昼休み中に隣のクラスの親友に合ってしまうとつい口を突いて出てしまった。 だか、彼女は至って冷静だ。 話を聞いていても顔色一つ変えてはくれなかった。 「へぇ、悲惨」 終いにはたった一言で片付けられてしまった。 そして、 「まあ、ありがちだね」 ほんの少し同情の色を含んだ切れ長の綺麗な目。 ありえないほど冷たい言葉を含んだ厚みのある唇。 スッと通った鼻筋。首を傾げるとさらっと落ちてくる艶のある長い黒髪。 雅菜々世。 才色兼備の代名詞のような彼女は、とってもとってもクールな女の子なのだった。 「…他に、感想は?」 「別に」 確かにありがちだとは思う。 恋人の浮気現場を目撃するなんてこと。 だけど今言いたいのは「最低でしょ?」という同意を求める言葉への返事で。 慰めという優しさで。それが分かりきっていたとしてもそれでもいいのに。 「ま、しょうがないんじゃない」 「えっ」 「次探しなって」 まさか、本当にそれだけの反応で終わり? 「あ、予鈴鳴った」 ちょっと……!! 本鈴はまだだと言うのに、そそくさと教室に戻っていく雅。 わかってる、こうなることは大体わかっていた。だけど話せる人は雅しかいない。 彼女とは幼馴染で、話していないことを考えないと出てこないぐらいの仲だった。 あたしが女の子しか恋愛対象にないことも雅は知っている。だから、気兼ねなく話せる。 だけど、生憎慰めるという行為は彼女の辞書には載っていない様だ。 そのまま本鈴が鳴っても授業を受ける気がせず、サボり定番の屋上へと繰り出した。 階段を上って屋上へと続くドアが見えてくる。 いつも鍵が掛かっている屋上へは、生徒は誰も入れない。 しかし、あたしは違う。 屋上へ続く階段の踊り場付近に置いてある使わなくなった机の中。 実は、その中に屋上の鍵が放り込んであるのだ。 これを誰がここに置いたのかはわからない。 あたしが一年生の時にはもう既にここに入れてあった。 きっと卒業した先輩が入れたのだろう。 誰が入れたのかも、その理由も、どうせも良かった。大事なのはこの鍵だ。この鍵に何度救われたことか。 「んー」 外に出ると昨日の雨が嘘のように、快晴の空が広がっていた。 空気も清々しく、自然と伸びをしてしまう。 フェンスに寄りかかって目を瞑って居ると、ポケットに入れていた携帯電話がメールの着信を告げた。 [ またサボり!? ] 送り主は若菜だった。あたしの前の席だから先生に理由でも尋ねられたのだろう。 悪いとは思いつつ、ふっと笑ってしまった。 [ 悪いね、うまく言っといて ] それだけ簡潔に返すと、すぐにメールは帰ってきた。 呆れた顔の絵文字付きで了解の文字。 こういう時、前の席が融通の利く若菜でよかったと思う。もちろん、それだけじゃないけれど。 電源ボタンを押そうとすると、間違って前に届いたメールを開いてしまった。 [ ハル、ごめんね。ちゃんと話がしたい ] それは、先輩からのメールだった。 日付は昨日届いたもの。何を今更と、そう思わずには居られない内容。 昨日、あんな場面を目撃してしまったのだ。 あたしは本気で、本気で好きだったと言うのに。 そうやって先輩を恨もうと思ったのに、指は自然と先輩の番号を呼び出していた。 それでも好きなんだ。 それでも声が聞きたくて、その衝動は止められなかった。 『……はい』 4回目のコールで出た。大好きな可愛らしい高い声。 勢いで掛けてしまったけれど、中々声が出てこない。 「……」 『ハル?……昨日は、ごめん』 謝られたってどうしようもない。 許すも許さないも、それを深く考える程頭の整理ができていなかった。 『ごめん、もうっほんと、どうしていいかわからなくてっ……』 先輩の声は酷く震えていた。 どうしていいのかわからないのはこっちの科白だ。 罵る言葉の一つでも言えれば良かったのに。 そんな言葉は出てこなくて、先輩の声が愛おしいとさえ思ってしまった。 「誰なんですか」 無機質な声でそう聞いた。 聞いたところでどうすることも出来ないけれど。 『大学の、人』 「…付き合ってるんですか」 否定してくれればそれで良かったのかもしれない。 違う、と。恋人はあたしだけだと言ってくれれば何もかも許してしまいそうだった。 あんなところ見たってまだあたしを好きだと言ってくれれば。 ……そう思ってしまうぐらい、好きだった。 『……そうだよ』 そう答えた先輩の声は、もう震えてなんていなかった。 きっと目の前に居れば、視線を逸らさず真っ直ぐに見据えられていただろう。 返事なんてわかってたのに、何を期待してたんだ。 『ハルは優しいし、すっごく好きだけど……』 続く言葉だってわかっていた。聞きたくなかった。 結局あたしは最初から先輩の中では大した存在ではなかったんだ。 彼氏が出来るまでの、代用品。 ちょっとした恋愛ごっこ。 『女の子だから』 あたしの恋は終わった。 高3の梅雨の時期だった。
行き慣れないお洒落なお店。 そこには、親友とその彼氏が居る。 そして、あなたと出逢わせてくれた場所だった。 初対面が泣き顔なんて、今考えると恥ずかしいよ。 「いっちー!」 「おお、どうしたハルちゃん」 泣きつくように、ガバっと腕にすがりつくと驚いたように声を上げるその人。 爽やかな笑顔が印象的な男性、一之瀬祐樹。通称いっちーだ。 「ハル、失恋したの」 まるで、「今日は蒸し暑いね」とでも言うようにさらりと言ってしまうあたしの親友。 今の今まで後ろに居たのに、気づいたらもう席に座っていた。 「…え、ほんとに?」 「浮気された…そして振られた、ふざんけんなー」 「おっと、大丈夫?」 お酒なんて飲んでいないのに、なんだかフラフラで足元が覚束ない。 バランスの取れない腕をいっちーに支えられて、テーブルまで連れて行かれた。 今、雅と一緒に来たここはいっちー行きつけのお店で。 ちょっと高校生には敷居の高いお洒落なBarだ。 雅がここでいっちーと待ち合わせをしてると聞いて無理矢理ついてきた。 二人は付き合って1年のカップルであり、傍目からみれば文句無しの美男美女だ。 「浮気?」 「うん、しかも男」 相手が女性ならまだショックは小さかったのかもしれない。 いや、男だから余計に諦めなければならないところなのか。 ずっと考えていた疑問も結局答えは出ずに、頭の中を占めてしまうだけだ。 ああ、もう考えたくもない。 「そっか」 「佑樹、誰か紹介してやって」 「誰かって…」 雅のさり気無い言葉にいっちーは固まってしまった。 そりゃそうだろう。同性愛者の知り合いなんて早々居ないだろうし、ましてや相手は高校生だ。 さらっと誰かの名前でも出てきたものならこっちが驚く、寧ろいっちーを疑ってしまう。色んな意味で。 「いいよ、別に。すぐ別の人になんて無理だし」 いっちーに会いに来たのはただ愚痴を聞いて欲しかっただけだ。 大人でしっかりとした考えを持っているいっちーはあたしにとって良き相談相手だから。 雅の彼氏であっても、世間一般で言ういい男であっても。 あたしにしてみれば近所の気さくなお兄ちゃん的な人。 「ていうか、もう誰も好きになんてなりたくない」 冗談交じりに呟いたのに雅は目を大きく広げて驚いていた。 いっちーはなにも言わずにじっとこっちを見てる。 半分冗談、半分本気。 また同じようなことになるんじゃないかと思うと前になんて進めない。 だったらもう誰も好きにならずに楽に暮らしたい。 女であるから、男じゃないから。 そんな差別のような言葉をまた言われでもしたら、もう立ち直れない気がした。 男女の恋愛となんら変わりないのに。 好きな気持ちに嘘なんてないのに。 どうして受け入れられないんだろう。 「ハル……、」 「なに、どしたの」 只ならぬ雰囲気があたし達の間を占めていた。 だからこそ、笑って答える。それが今の精一杯だ。 二人とも、何を真剣になっているんだか。 こんな傷心したばかりの子供の愚痴なんて、適当に流してくれればいいのに。 「大丈夫だよ、ちゃんとハルちゃんを理解してくれる人が必ず現れるから」 「……」 「女とか男とか関係ない。君のすべてを愛してくれる人が」 真っ直ぐに見詰めてくれるいっちーは、優しく諭すように言葉を紡ぐ。 その言葉一つが、ぐっと胸の奥深い所に届いていく。 それに、段々と視界がぼやけていくのが分かった。 「だから、今はまだそれまでの過程に過ぎないんだよ」 駄目だ、もう限界。 涙が目から流れ落ちる寸前に、急いで席を立った。 二人を振り返ることもせずにトイレに駆け込むと、すぐに洗面台に凭れかかる。 次々と溢れてくる涙が後を絶たなくて、手の甲でゴシゴシと擦る姿はまるで小さな子供みたいだった。 鏡に映る姿はとっても不細工で、滑稽で仕方ない。 それでも色んな感情がこみ上げてとまらなかった。 浮気現場を見ても、別れを言われても泣かなかった。 泣くのを我慢していたわけじゃない、どうしても泣けなかった。 あたしは強く居たかったから。 男になんて負けないぐらい、強く。女だからと言われないように。 「ね、大丈夫?」 そっと肩に手を置かれて、俯いていた顔を少しだけ上げた。 目の前には女性が一人立っていた。 顔はぼやけてよく見えない。 でも、多分知らない人だ。 あたしより少し小さくて、華奢に見えた。 「これ、使って」 優しく微笑んで、何かを目元に当ててくれた。 ひんやりとして気持ちがいい。 両目を塞ぐ様にそれをあてると、何も見えなくなった。 「ハル」 目を瞑って冷たい感触に浸っていると、今度は後ろから声がした。 聞きなれた声、間違えるはずのない雅の声だ。 「ハル……」 ぐいっと引っ張られたかと思うと、すぐに雅に抱きしめられた。 頭を撫でられて、雅の体温が伝わってくる。 安心できる場所だった。ぐっとこみ上げてくるものがすべて吐き出るように。 声を上げて泣いた。 まるで子供のように。 それからどれぐらいの時間が経っただろうか。 目を瞑っていた所為もあり、時間の感覚がなくなっている。 その中で、そっと頭を撫でてくれていた雅が一言呟いた。 「あのさ、いい加減泣き止んでくれない?」 つ、冷たい……! さっきまで優しく抱きしめてくれてたのに。 頭だって撫でて、胸の中で泣かせてくれていたのに。 「もう帰りたいし」 呆れたような声で雅がそう言うから、つられるようにゆっくりと頷いた。 時に甘くときに厳しく時に冷たく、飴と鞭をきっちり使い分ける、さすがあたしの親友だ。 そんな馬鹿みたいなことを考えていると手に持っていたモノをとられた。 「それで、これ誰の?」 今まで泣くのに夢中でよく見ていなかったけれど、それはハンドタオルだった。 涙でぐちゃぐちゃになっていたが、それは元から濡らしてあったもの。 そう言えば、さっきこのタオルを渡してくれた人は? はっと思い出してあたりを見渡すけれど、それらしき人は居ない。 「……今頃探したっているわけないでしょ」 「え?」 「さっき此処に居た人なら、もう随分前にここから出て行ったけど?」 「……あ、そっか」 「知り合いじゃなかったの?」 ここに知り合いなんて、滅多なことじゃないとあり得ないだろう。 それは、きっと雅だって良く分かっているはずだ。 だとすると、見ず知らずの人にタオルを貸してくれるなんていい人だな。 しかも水に濡らしてまで。 そうなると、絶対に返して、お礼を言いたかった。 「じゃ、これどうすんの」 「そりゃ返すよ」 「どうやって?」 「……」 返したい気持ちは山々だった。返せるかどうかは別として。 ここの常連さんなら、返す機会はあるかもしれないが、もしそうじゃなかったら二度と会えないということもあり得るんだ。 「とりあえず今日は帰ろ」 「え?」 「佑樹も明日仕事らしいから長居はできないって」 「ああ、うん」 そうか、忘れて居た。いっちーは立派な社会人だったと。 あたし達みたいに、フラフラしている時間はあまりないんだ。 「送ってあげるから」 「……ありがと」 家に帰って自分の部屋へ向かった。 倒れ込むようにして、一目散にベッドに横になる。 視界に広がる見慣れた天井、そこにタオルを掲げた。 それはとてもシンプルなものだった。 黒と青のチェック柄で、控え目な色合いであり、あたしの好きな色だ。 「誰だったんだろ」 それがあたしの好みのモノだったからだろうか。 どうも、このタオルの持ち主が気になっていた。 人に手を差し伸べられる優しさ、そこに惹かれた部分も大きかったんだろうとは思う。 想像してみてもどんな人だったのかはわからない。 わかる限りで考えても髪の長さは先輩に近かったりで、上手く想像出来ない。 そんな風に、頭の中で自然と先輩を思い出してしまう。 まだ、鮮明に浮かび上がってくる先輩の笑顔。 可愛らしかった、とても優しくて、天然なところも沢山あって。 でも、不思議と苦しくはなかった。 胸を掴んだような息苦しさも、悲しさも前ほどは襲ってこない。 それもこれも、泣いてスッキリしたからなんだろうか。 「持つべきものは友達だ」 聞いたことのあるフレーズを口にして、一人笑ってしまった 泣くことは意外にいい事なのかもしれない。
手元にある一枚のハンドタオル。 シンプルな青と黒のチェック柄。 もう一度あの店へいけばあなたに会えるのかな。 空は快晴。 もう梅雨も明けようとしていた。 号泣したあの日から1週間が経とうとしていた。 あれから先輩のことを考える時間は段々減ってきている。 その変わり、まだ手元にあるタオルのことを考える日々。何度かあのお店へ行こうとは思ったけれどバイトやらで中々行く機会がなかった。 今日当たり行ってみようか。バイトもないことだし しかし、一人で行くには心許ない。そこらへんのカフェに行くわけではないのだ。 高校生には躊躇われる場所だった。 雅を連れて行ったほうがわかるんだろうけど、雅は連日部活動で暇がないって言ってた気がするな。 「先輩!!」 自転車で緩やかな坂をゆっくりと下りていると、後ろから聞こえる声。 にちらっと振り向くと後輩の姿があった。 「おはよ」 「おはよーございます!」 急いで漕いで来たらしく、だいぶ息が上がっているようだ。 彼女は由香、中学からの後輩だ。 彼女はバレー部に所属しており、中学時代は自分もバレー部に所属していたから、そのときから何かと慕ってくれていた。 高校は結局部活動に入ることはなかったけれど。 自慢じゃないが、あたしは運動神経だけには自信があった。 その代わり、頭の方は目も当てられない状態だ。 もし、バレー部に入っていたら、全然違った高校生活を送っていたことだろう。 「じゃあ先輩!また!」 「はいはい」 駐輪所に着くと友達を見つけたようで由香は駆けていってしまった。 部活をやっている人たちなら3年の夏は最後の頑張りだろう。 雅も弓道部だから、やっぱり店には一人で行こうかな。 「あ、そーだ」 そう考えていると、いっちーの存在を思い出した。 元を辿ればあの店はいっちーの行きつけだ。だったら彼に頼めば早いじゃないか。 彼女である雅に内緒じゃ悪いかなとも思ったけれど、相手が他の女の子ならまだしも、自分だ。 問題ないだろうと結論付けて、早速いっちーへとメールを送った。 「あ、お疲れさまー」 「おーハルちゃん。突然の誘いのおかげで急ピッチで終わらせてきたよ」 いっちーは大げさに肩を竦ませるけど、顔は明らかに笑っている。 こういう軽口も簡単に出来るところがいっちーのいいところだ。 柔軟な大人って素敵だなって思う。 それは好きとかじゃなくて、自分もこうなりたいという憧れの対象でだ。 「それで、菜々世抜きで会うなんて何事?」 菜々世と言う名前に一瞬クエスチョンマークを浮かべてしまった。 いかんいかん。親友の名前を忘れるところだった。 普段雅のことを苗字以外で呼ばないから、常に忘れがちになってしまう。 何故あたしが雅と苗字で呼ぶかは、それはそれは浅くて簡単な理由があるんだけど。まぁ、それは置いといて。 「うん、実はさ。此間のお店に行きたいんだけど」 「此間?ああ、SKY LINEね」 いっちーの言葉で、あの店の名前を初めて知った。 スカイラインと言う名前は、空の好きな自分にとってはとても好感が持てた。 「いいけど、うん。じゃあ行こうか」 どうして?とは聞いてこない。そんなスタイルがあたしは好きだった。 嫌な顔ひとつせずにお店まで車で乗せていってくれるいっちー。 あたしがこんな柔軟な大人になるには、相当大変そうだ。 いっちーの車にて、すぐにお店には着いた。 「こんばんは」 中に入っていっちーが声を掛けると、カウンターに居た女性はすぐに振り向いた。 緩やかなウェーブが掛かった茶髪の髪。 スタイルが抜群に良い、まるでモデルさんのような女性。そして、何より美人だ。 何度か来たことがあるが、この店で一番目に付く女性だった。 「この人がマスターのユウさん」 やっぱり、と思った。 目立つこともあるが、その存在自体がすごく大きくて、マスターなのかなと漠然と思っていたのだ。 近づくと、カウンターの中だろうと段差はないようだから背も高い。 あたしが160ちょっとだし、この目線だと170はあるんだろう。 格好良いユウさんに見惚れながら、目が合って頭を下げた。 「かわいい子ね。菜々世が妬いちゃうんじゃないの」 「いや、菜々世の友達ですから。何度かここに来たこともあるし」 「あれ、そうなの」 いっちーとの会話のあとにチラッとこっちを見られて、また目が合ってにこっと微笑まれた。 「この子、ハルちゃんって言うんだ」 自己紹介しようと意気込んで一歩前に出ても、いっちーのそんな声が気を削いでしまった。 『ハルちゃん』と呼ばれるのは好きじゃないのに。 そう思っていっちーをみると、変わらず爽やかな笑顔を浮かべていた。 悪意がないから尚更性質が悪いんだ。 「そう、人探しね」 「はい」 「でも顔分からないんでしょ?」 「あ、はい。でもなんとなく、雰囲気でわかるかなー…って」 「そう」 控えめに微笑んだユウさんは壁にもたれてタバコに火をつけた。 そのどれをとっても、一つ一つの動作が絵になる。大人の女性、って感じが滲み出ている。 ちなみに大人の男として理想のいっちーはあたしを紹介してすぐに帰ってしまった。 何やら行き成り会社から呼び出しをくらったようで。無理に誘ってしまったみたいで、少し気掛かりだ。 慣れないお店に一人ポツンと座っていても、気さくに話しかけてくれるユウさんのお陰で居た堪れない状態に陥らなくて済んでいる。 このお店は、ユウさんが居るからと言う理由で訪ねてくる人は少なくないんじゃないんだろうか。 そんなこと思って手元のジンジャーエールに手を伸ばすと、ユウさんから思わぬ言葉が耳に届いた。 「それで、ハルは女の子が好きなの?」 「…え?」 さらっと、何気ない日常会話のように紡がれた言葉。 グラスを持つ手も、何もかもが一時停止をしてしまった。 「え、あたしそんなこと一言も……」 言ってないんですけど。 と言う言葉は小さすぎて聞こえなかったかもしれない。ユウさんの自信満々の瞳に、段々と語尾が小さくなってしまったから。 確かにタオルを貸してくれた人を探してるとは言ったけど、女性が好きだなんて結びつくことさえ一度も口にしていないのに。 「ここって色んな人が来るからね、人間観察って得意なのよ」 「……はあ」 それにしても、少し話しただけでわかるなんて凄過ぎだろう。 「あの、引いたりとかしないんですか」 あまりに平然としてるから、思わずそう尋ねてしまった。 普通にしてみても同性愛者と言うのは敬遠されがちだ。 昔よりもずっとオープンになったとは言え、カミングアウトなど出来ないのが今の現状で。 あたしも例にもれず、本当に親しい人にしか言えていない。もちろん、親にだって内緒だ。 「古いこというのね、このご時世に」 「へ?」 「男が好きも女が好きも大して変わらないでしょ」 ユウさんが息を吐くのと一緒に、煙草の煙も空気中へ流れていった。 何だろう、こういうサッパリとした人って、非常に好きだ。 雅と似てる部分があると言うのもあるが、自分の意思をしっかりともっているところも。 すごく格好いい。理想の女性だと思った。 偏見を持たれなかった事も、こんな素敵な人と出会えたことも嬉しくて、それだけでも今日ここに来た甲斐があった。 そのうちユウさんが他のお客の方へ接客に行ってからは、一人でジンジャーエールを飲みながら暇を潰していた。 例の女性を探そうにも、あまりキョロキョロしても目立ってしまうし。 カウンター席に座ったのが間違いだったかもしれない。 そう思っても、今更遅いのだけれど。 携帯を開いて何気なく弄っていると後ろから声を掛けられた。 「あれ、もしかして……」 もしかして? その声を怪訝に思って振り向くと、斜め後ろに女性が一人立っていた。 「あ、やっぱり」 そう言った女性は、端正な顔に華やかな笑顔を浮かべていた。 背格好に見覚えがある、初めてみる顔だったけれどその雰囲気に覚えがあって。 タオルの持ち主じゃないかと、すぐに思った。 「この前、泣いてた子でしょ」 「え、あっ……はい」 『泣いてた子』という認識の仕方はなんとも恥ずかしいものだ。 子供ならともかく、18歳にもなってその呼ばれ方はないだろう。 「ここの常連だったりするの?」 「いえ、そういうわけじゃ……」 思いっきり挙動不振だからだろうか、彼女はあたしの返答を聞いてクスクス笑っている。 取り敢えず、18歳でここの常連というのはどう考えてもいいことじゃないので、否定はしておかないと。 笑いながら、その人は自然な動作であたしの隣に座るった。 その際、ふわっと良い香りが鼻を掠めた。 癖になりそうな、甘い香り。 「だよね、この前初めてみたし」 笑うたびに艶のある綺麗な黒髪がゆれる。 肩に付くぐらいの髪は自然なストレートで、斜めに分けられた前髪が大人っぽさを出していた。 目鼻立ちはくっきりしていて美人だけど、笑うとかわいい。そんな印象だ。 「どうかした?」 じーっと見つめていたからだろうか、首を傾げて覗き込まれるとカッと顔が熱くなるのがわかる。 ええと、何か言わなくちゃいけない。 そう慌てて視線を彷徨わせて、思い出しのはあのハンドタオルだった。 「ああっと、これ」 差し出したそれを見た彼女は、「ああ」と小さく呟いて口角を上げた。 受け取るその手に自分の手がほんの少しだけ触れる。 「あの、ありがとうございました」 「いいのいいの、親切の押し売りだから」 顔の前で手を振って悪戯っこみたいに笑う。 その気さくなところが、何だかいっちーと似ていた。 「あれ、雪乃来てたの?」 綺麗な笑顔に見とれていると、目の前に戻ってきたユウさんが、隣の女性に話掛ける。 「ええ、今ちょうど」 雪乃、それが彼女の名前なのだろう。 ピッタリだと思った。色だって白いし、雰囲気だってそのままのようだ。 「二人は知り合いなの?」 あたしと彼女、雪乃さんを交互に見ながらユウさんは首を傾げる。 「2度目の対面です」 「ね?」と同意を求められて慌てて頷いた。 ユウさんはふーん、と興味があるのかないのか曖昧に相槌をうつ。 それから、どことなく面白いものでも見る顔でじっとあたしを見つめてくる。 「案外早く終わたのね、人探し」 「えっ!?」 ユウさんとは初対面じゃないけど、今日はじめて言葉を交わしたわけで。 それなのに、恐るべしユウさん。 エスパーじゃないのかとほんとに疑いそうになってしまった。 「人探しって?誰か探してたの?」 「えっと、あなた、ですけど」 「……私?」 「はい、タオル返そうと……」 一瞬キョトンとした顔をして、それはすぐに笑顔へと変わった。 なんて綺麗に笑う人だろう。 見ていると、無条件でドキドキしてしまう。 「そっか、ありがとね」 それはこっちの科白なんですけど。 ……という言葉は口から出てこなかった。 あまりに素敵な笑顔で、ただ見とれてしまって。 うまく表現できないのが悲しいところだけれど、本当にとってもとっても、素敵だ。 「あ、そういえば名前は?」 思い出したように聞かれて、グラスを持つ手が止まってしまった。 あたしもそうだけれど、お互い名乗ってもいなかった。 あたしはユウさんを通じて名前を知っていたが、雪乃さんは知らないままだ。 興味がないんだろうかと、その事実に軽くショックを受けていると店の中にまた客が入ってきた。 気にも留めていないと、つかつかと足音は近づいてくる。 「ハルちゃん」 「……え?」 自分の名前を呼ばれたことに振り向くと、そこにはいっちーの姿。 もうここに寄らずに帰るものだと思っていたから、そこに居たことに余計に驚いてしまった。 「ごめんごめん、大切な資料一緒に持って帰ってきちゃったみたいで。返しに行って来たよ」 「いや、大丈夫だけど……」 「一之瀬君、久しぶり」 言い終わる前に、雪乃さんの声に遮られてしまった。 もしかして、と思う。でもそのときにはそれは事実へと変わっていた。 「ああ、雪乃さん」 そういっちーが雪乃さんの声に答えた。 やっぱり二人って知り合いだったんだ。 一之瀬君と呼んでいた。何だか怪しい。 雪乃さんといっちー。並べばお似合いのこの二人。うん、見れば見るほど怪しい。 ちらっといっちーの顔を見て、そっと耳元で囁いた。 (雅にちくろ) (……勘弁してよ。最近ここで知り合っただけだよ) 少しぐらい動揺するかと思ったのに、いやに冷静だ。 こうなると面白くない、どう考えても何もないと物語っているようで。 「二人って……あ、例の年下の彼女?」 「「え!?」」 雪乃さんの突然の言葉に二人で綺麗にハモってしまった。 もしかしなくとも、あたしをいっちーの彼女と間違えているんだろう。 取りあえずここは否定しておこう。 雅のために。いや、いっちーの名誉のために。 「ち、違います」 「違うんだ」 「彼女の友達なんですよ」 納得、と言うように頷く雪乃さん。 そんな表情もかわいいと思ってしまう。 「じゃあハルちゃんも学生なんだね」 雪乃さんの質問に、「そうですよ」と答えようと思ったのだ。 けれど、その言葉で引っ掛かる所があり、その言葉が口から出ることはなかった。 「……いま、なんて?」 「学生?って聞いたけど?」 「その前に……」 「ハルちゃん?」 やっぱり、聞こえたと思ったのは聞き間違いではなかった。 いっちーが良いタイミングで登場してしまったから、自己紹介する前に名前を知られてしまったのか。 雪乃さんの口から発せられたのは、いっちーと同じ呼び方だった。 「どうかした?」 「いや……」 「あ、ごめん。馴れ馴れしかったよね」 嫌だよね、ごめんね?と苦笑気味に笑う雪乃さん。 そう言う意味じゃないのに、雪乃さんから呼ばれることが嫌なんじゃなくて。 否定したいのに、上手く言葉が出てこなくて、焦った挙句に思わず立ち上がってしまった。 「いっいいえ!!ぜんっぜん!!」 その上大声をあげてしまったものだから、隣に座っている雪乃さんもいっちーも、奥に居るユウさんでさえも唖然としてしまった。 もちろん、周りに疎らにいるお客さんもだ。 喋りかけていた口がそのままぽっかり空いてしまっている。 その原因を作ったのはあたしで、思わぬ赤っ恥に体中がカッと熱くなっていくのがわかる。 顔が真っ赤に染まるのと同時に、店の雰囲気をぶち壊したことに気付き急いで着席した。 だが、その時にはもう遅い。 微かに笑う声が奥から聞こえると、ユウさんがお腹を抱えて笑っていた。 それだけじゃない、他のテーブルからも笑い声が聞こえ、いっちーだって笑いを堪えていた。 もう穴があったら入ってしまいたい。 むしろここに掘ってでも入りたい。 真っ赤な顔が通常の色を取り戻すまでそこに居座っていたい。 そう本気で思うほどの恥ずかしさだった。 もちろん、こんなところに穴なんてあるはずもなく、皆の笑いが消えるまで一人小さくなって耐えた。 「そっか、良かった」 隣から聞こえた小さな声に顔を向けると、雪乃さんが微笑んでいた。 少しだけ可笑しそうに、それでも柔らかい表情にはどこにも馬鹿にしているようなところは見えなくて。 あたしの話を聞いてくれていた。それが嬉しくて、すごく嬉しくて。 目が合うと、はにかむようにあたしも笑った。 いつもよりずっと心もとなくて、それでもドキドキして、なんだか不思議な夜だった。 「…と言うわけで、無事タオルを返すことが出来ました」 翌日、昼休みに図書室で本を読んでいた雅を無理矢理中庭へと引っ張って事後報告をした。 簡潔に話そうと頑張ったけど、生憎国語は常に平均点な自分。 要領悪くだらだらと話してしまった。 「そっか、良かったね」 もちろん、雅からはそんなクールな言葉を一言頂いただけだった。 だけど、ムズムズしたこの感覚はなんだろう。 昨日のことを無性に誰かに言いたくて、だから聞いてくれただけで満足だった。 「あ、今度一緒にお店行こ」 「SKY LINE?」 「そ、ユウさんがまたおいでって」 「ふーん」 どう見ても興味の無さそうな雅は、組んでた足を組み替える。 さっと髪を掻き上げると、じっとあたしの目を見つめてきた。 「楽しかったんだ」 「え?うん」 「そう、雪乃さんねぇ」 「?」 じっと考えるように斜め下を凝視している雅。 まず雅の考えていることを考えても無駄だから、もとから理解しようとはしていない。 だけど、雪乃さんの名前が出ているだけあって、妙に気になった。 雅は確か、雪乃さんとは面識ないはずだけど。 「好きなの?」 「……え?」 雅の言葉に、文字通り固まってしまった。 好きって言うのは、やっぱりそういう意味での好きなのだろうか。 確かに雪乃さんは綺麗で優しかったし、一緒にいて楽しかった。 だけどそういう関係になれるかと言うと絶対無理だ。それに何より昨日初めてちゃんと会話をしたんだ。 「…別に、そういうんじゃない」 「ほんとに?」 「だから、雪乃さんは…ほら!高嶺の花みたいな。絶対手の届かない存在、そう、そんな感じ!」 何をムキになっているんだって、どこかで冷静な自分が呟く。 「だから別に好きとかじゃないし」 必死で自分の中にある感情を否定した。これは恋じゃなくて憧れだなのだ。 ああ言う人と一緒に居れたら毎日楽しいだろうな、とか。 それに、考えても全然リアルじゃない。 だから、違うのだ。 「年だって離れてるだろうし」 「大体、女のあたしじゃ無理だって」 自分で言って、その言葉にはっとした。 それはつい先日、十分に思い知らされたことだ。 思い出しただけで急に泣きそうになってしまう。 あたしは男じゃない。 それなのに女に恋をする。 「もう、先輩のことは忘れなって」 あたしの様子に気付いた雅は、優しくそう言ってくれるけれど、忘れたはずだったのだ。 綺麗さっぱり、忘れようとした。 だけど、そこ10日足らずじゃ無理なんだ。 そんな、そんなに薄っぺらい想いじゃなかったんだから。 「……雪乃さんのこと、気になるってことには変わりないんでしょ」 落ち着いた声で、柔らかく雅は聞いてくれる。 答えるように、項垂れた首を更に下にさげた。 好きなわけじゃないけれど、素直に素敵な人だと思ったことには変わりなかった。 だから、雅の言葉に頷いたんだ。 「だったらまた行けばいいよ」 また、か。 『ハルちゃん、またね』 帰るとき、雪乃さんはそう笑顔で言ってくれた。 ついさっきまで先輩のことを考えて胸が苦しくなってたのに、雪乃さんの笑顔を思い出すとあったかい気持ちになる。 魔法でもかけられたような、不思議な感覚だった。 また会いたいと、思わせるような笑顔。 「それに、佑樹の知り合いなんだし」 雪乃さんのことを考えていると、さらっと隣からそんな言葉が聞こえた。 少しだけ強くなった語気から、その変化が伺える。 さっき事の経緯を話す際に、二人が知り合いだったと言うことを言ってしまった。 もしかして、そのことに妬いていたりするんだろうか。 だとすれば、ものすごくレアな状況……? 「だ、大丈夫だって」 「は?」 「いっちーには雅しかいないって!」 「……」 こう言う時に掛ける言葉がわからなくて、あたふたしながらそんな言葉を言ってしまったけれど、どうも失敗だったか。 寧ろ、要らぬ地雷を踏んでしまったかもしれない。 嫌な沈黙が流れて、どうしようかと口を開こうとすると、先に雅が沈黙を破った。 「それが?」 「え、」 「そんなのとっくに知ってるけど」 そんな格好いい科白を吐いて、立ち上がり颯爽と歩き出したあたしの親友。 その後姿には高校生とは思えない風格が漂っていた。 フォローする言葉が必要なほど、雅は柔じゃなかったみたいだ。 格好良い親友を見て、あたしもそんな風になりたいと強く思った。
確かに訪れたことがあるのに、まるで全く違う場所のようだった。 そしてあなたも。 太陽の光りを浴びる姿は本当に輝いていた。  日曜日、あたしと雅は街をブラブラしていた。 その一番の目的はいっちーの誕生日プレゼントを買うことだ。 雑貨からブランド物まで渡り歩いて、幾つもの店を回りお昼には目的達成を成した。 雅はキーケースを買い、あたしは適当に雑貨屋で見つけたペアのカップを購入した。もちろん、いっちーと雅用だ。 ペアだと言うこともあり、そんな柄は嫌だとかこの色は好きじゃないとか。 雅からの注文を受けながら適当なものを選んだけれど、本当は夫婦茶碗とか渋い湯呑にしたかったのに。 色々と提案してはみても、どれもこれもことごとく却下された。 一悶着ありながらも決まって安堵していると、もう正午を回っていた。 「なに食べようか」 ランチを食べるには丁度良い時間帯だ。 きょろきょろと視線を彷徨わせて、これから行く場所を思案した。 いつもなら大体ファーストフードだ。だけど雅はあまり好まない。 ということは、手軽にカフェ何かが無難だろうか。 「あ、良いとこあるよ」 「どこ?」 「SKY LINE」 「……スカイライン?」 雅の言葉を反復させて、漸くそこがどこだか理解出来た。 そこは例のお店だ。だが、あそこはBarだ。 普通真昼間のこの時間は閉まっているはずだろう。 そう思って雅を見れば、昼はカフェ夜はBarだと教えられた。 「そーだったんだ……」 「そう。じゃ決まり」 それでいいのかどうか。こちらの意見を聞きもしない雅はぐいぐいと服を引っ張って歩いていく。 まあ、雅と言うやつはこういうやつなのだ。そんなこと、今更突っ込んでも遅すぎる。 雅に引っ張られて、着いた先は昼間のSKY LINE。 内装は変わらないものの、雰囲気は別の店のようだ。 いつもはある程度落としてある照明も普通に照らしてあり、なにより年齢層が若い。 夜はスーツを着た男性だとか、仕事帰りに一人飲みしてる女性などが多かった筈だ。 今はどうだ、明らかに高校生ぐらいだろうと言う男女も多く居る。 「……すごい」 「何が」 「いや、ね。時間が変わればこうも変わるのかと」 じっと見つめてくる雅は無言で頷いた。 「昼間はユウさん、殆ど出ないらしいよ」 「こんな感じだから?」 「じゃないの」 騒がしいと言うには言い過ぎだろう。 けれど明らかに夜よりもオープンな雰囲気だ。 ユウさんは落ち着いた感じの人だから、昼より夜の方が好むのだろうか。 「でもこういう雰囲気、ハルは好きそうだけどね」 「うん」 雅の言う通り、実はこういった明るい感じの方が好きだ。 落ち着いた雰囲気は大人っぽくて、どうしても場違いに感じて落ち着かない。 まだまだガキの証拠だろうな。 あーだこーだとだらだら話しながら、さっそく空腹を満たした。 雅が相手だとはしゃぐように盛り上がることはないけれど、落ち着いて話せる。 それは安心しきっていると言っても間違いじゃなく、自然体で居られる。 「美味しかった」 「うん」 お腹も満たして、コーヒーで落ち着く。 料理も美味しい。コーヒーも自分の好みと合っていて、言うことなしだ。 ふーっと一息ついていると、雅はお手洗いへと席を立った。 一人になってからもう一度ゆっくり店内を見回してみるけれど、やっぱり印象は全く違う。 「やっぱり、全然違うなー……」 思っていることをつい口に出していると、不意に背後から話しかけられた。 「何が全然違うの?」 「そりゃ、やっぱり雰囲気とか――」 その声に相手が雅だと思って発したけれど、すぐに雅は今の今トイレに行ったんだと思い出した。 とすれば、その声は雅ではない。だったら誰の声なのか……。 「……え?うわぁ!!」 恐る恐る振り返ると、真後ろに居たのはまだ印象に強い人だった。 スーツをきっちりと着こなしているその姿、そのバックには太陽の光を背負って。 「……そんな、叫び声上げなくたって」 「だ、だって……!」 そりゃ叫びたくもなるだろう。 真後ろにいるし、行き成り声を掛けられるし何より、その相手が雪乃さんなんだから。 「ランチ?」 「は、はい」 「一人、じゃないよね?」 「あっ友達が今トイレに」 「そっか」 微笑む姿は数日前と何ら変わらなかったけれど、やっぱり昼と夜では受ける印象が違った。 此間は私服だった所為もあるのだろうけれど、柔らかいイメージだ。 今日はスーツで、パリッと仕事モードな感じだ。 「雪乃さんは仕事の合間とかですか?」 「うん、今打ち合わせしてたの」 「……ここで?」 打ち合わせって会議室とか、そういった畏まったところでやるもんじゃないんだろうか。 疑問の意を込めて語尾を上げると雪乃さんはニッコリと笑った。 「そう、ここで」 雪乃さんの笑顔にぽーっと見惚れていると、向かいの椅子がガタっと動いた。 颯爽と戻ってきた雅はすぐに雪乃さんに小さく頭を下げた。 こういうスマートなとこ、もの凄く見習いたい。 そしてさっきの叫び声を取り消せるものなら今すぐ取り消したい……! 「あっ友達の雅です、雅菜々世」 雅を指して雪乃さんの紹介した。 確か二人はこれが初対面になるはずだろう。 雅にも雪乃さんを紹介すると、 「はじめまして、先日はハルがお世話になったようで」 雅お得意の余所行き顔で、流暢な挨拶。 いつものクールな態度なんて微塵も感じられない。 「いいえ、楽しい時間をすごさせて貰ったから」 「それに、祐樹のお知り合いでもあるとか」 黙っていても美少女だと称せられるその顔を綺麗に笑んで見せる雅。 綺麗過ぎる顔立ちがさらに際立って、凄みが増す。 「祐樹って、一之瀬君?あー、あなたが一之瀬君の彼女なんだ」 「ええ、ご迷惑掛けていないと良いんですが」 「全然」 どう考えても雅には敵意があるのに、それを受け流すような雪乃さんの笑顔。 憲政する雅の態度にも負けず、まったく嫌味がない物言いが逆に怖い雪乃さん。 そんな状況を目の当たりにして、女の戦いが男同士よりも恐ろしいことに今更ながらに気付いた。 それから三人で少しだけ話した後、店の時計を見て雪乃さんが慌てて腕時計を確認した。 今さっきまで打ち合わせだと言っていたし、これからまた仕事なのだろう。 「そろそろ会社戻らないといけないから」 「そうですか」 もう少し話してたかったけど、仕事なら仕方ない。 「ハルちゃん。今度またゆっくり話そうね」 座っているあたしの肩をそっとひと撫ですると、目元を緩めてそういってくれた。 洋服越しに触れられただけなのに異常に胸が高鳴った。 一瞬にして鼓動が早くなる。 「あ、はっはい」 「じゃあね」 店から出るまで雪乃さんの後姿をずっと眺めていた。 それでも、心音はまだ静まらない。 「わからない」 「え?」 やっと我に戻った頃、雅がポツリと呟いた。 「あの人、何考えてるのかまったく読めない」 雅の指すあの人と言うのは、やはり雪乃さんのことだろう。 読めないと言っても、あたしは雅の言ってることの方が全く理解出来ないでいた。 「ハルが考えてることなんて手に取るようにわかるのに」 溜息を漏らしながら髪をはらう。 その仕草は絵になるけど、今はどうも腹立たしい。 小馬鹿にされてるのに、こうも図星を突かれれると何も言い返せないからだ。 外面は良い方だし学校では雅を見習って結構クールぶってはいるけれど、雅からしてみればそんなものどうってことないらしい。 「いっちーとのこと心配してるの?」 一応話を戻して、雪乃さんのことについて聞いてみる。 さっきの様子からして、雅は大分雪乃さんを敵視していた。 あの二人に何かあると思えないけれど。 「別に、関係ない」 「でも雪乃さんに突っかかってたじゃん」 「一応牽制しておこうっと思って」 ……やっぱり、突っ掛かってたんじゃん。 「たださ、」 いつでも何に対してでもどんなことにもハッキリと口にする雅が言葉を詰まらせた。 「な、なに?」 「あの人、ハルが思ってるほど綺麗な人じゃないと思う」 「……」 雅の言葉に、今度はあたしが言葉を詰まらせる番だった。 そりゃ外見が綺麗かどうかなんて価値観によって違う。 けれど、そんな改まって言うことでもない。それに、雅に限って人の外見にものを言うなんて。 何だか貶されたような気になって遺憾だと前面に出しながら答えた。 「雅からみたらそうでもなく見えるんだ、そりゃ雅は綺麗だしね」 「見た目とかじゃなくてさ」 きちんと噛み砕いて言ってくれないと理解が出来ないって雅が良くわかってるくせに、やけに勿体ぶる。 ちゃんと分かるように説明して欲しいのに。 何だか重大なことを言われそうで内心ドキドキしていた。 「じゃあなに?」 「ごめん、綺麗じゃないって言うのは語弊があるね」 「?」 「多分、人に言えない秘密とかあるんじゃないかな」 雅は一切の表情を変えずにそう呟いた。あまりに真剣な顔にリアクションの一つもとれなかった。 でもそんなこと一度会っただけでわかるはずがないし、何の証拠もない。 「何を根拠に」 「さぁ、勘かな」 「勘?」 根拠はないんじゃないかと一蹴した。 何の理由もなく勘だけで初対面の人に対して失礼だと思った。 それが雅だって許されないことだ。 雅もそれ以上は何も言わず、雪乃さんの話題はそこで終わったけれど、 その言葉を忘れてはいけなかったんだ。
教科書にノート。 それからペンケース。 夏休み直前の試験は梅雨の憂鬱を引きずっていた。 あと一週間、ここからが追い込みだ。   どうしよう……。 最近色々ありすぎて忘れていた。 学生として、こんなに大切なことを。 「ハル、ここわかる?」 「え?」 「ここ」 若菜がくるっと後ろを向いて問題集を突き出してきた。 今は数学の授業中、しかし先生は座っており各々自習に精をだしていた。 何故かと言えば、そう、来週からテストなのだった。 「これ?」 「そう、それ」 問題集を覗き込むけれど、見たこともないような式が並んでいる。 正直さっぱりわからない。そんな状態でやっと危機感を覚えた。 「これってテスト範囲?」 「今更なにいってんの」 呆れたような顔で見てくる若菜の視線が痛い。 先輩とのことがあってから授業もまともに受けてなかったから平常点だって最悪だろう。 今から本気で頑張っても遅いかもしれないけど、死ぬ気でやらないといけない。 もし赤点なんぞ取ろうものなら夏休みの地獄の補習……ああ考えただけで恐ろしい! 「わかんない、わかるわけない」 「……だよね、ハル最近さぼってばっかりだったし」 「あ、あははっ」 「いっつも私がフォローしてるんだからね、たまには私のお願いも聞いて欲しいよ」 フォローがフォローになっていないところを除けば、ほんとお世話になってるよ。 「もちろん、仰せの通りに」 「ほんとに!?」 ガタンッと勢い良く立ち上がった若菜に一斉にみんなの視線が集められた。 余りの食いつき様に思わず黙り込んでしまったが、なんとかうなずく。 そんなに興奮するほど、あたしにしてほしいことでもあるんだろうか。 一体どんなことを頼まれるのかと、恐々としながら若菜の言葉を待った。 「ハルさ、B組の雅さんと仲良かったよね?」 「そうだけど?」 「少しで良いの!勉強教えて貰えないかな!?」 目の前で手を合わせる若菜。 日頃世話になっていることと、先ほど自分の口から発した言葉。 無理だと言うことなど絶対に出来ないだろう。 「何で私なの」 昼休み、若菜の願いを叶えてあげる為に隣のクラスまでやってきたわけだけど。 目の前の雅は「面倒」だとハッキリ表情で伝えてきた。 だからと言って、ここで折れるわけにはいかない。 「だから、学年首席の力が必要なんだって!」 雅は学年の順位は常にトップ。だからきっと若菜の願い事の対象になったのだ。 名指しなのだから他に頼むわけにもいかない。 ここは雅にひと肌脱いでもらわないと、その一心で手を合わせた。 「お願い!」 「……」 今の状況がどれほど切実なのか、雅に知ってもらうため少しだけ個人情報を漏らしてしまった。 若菜は成績が良い方ではない。あたしよりも悪いし、寧ろ下から数えた方が早いくらいだと言う。 もう3年の夏休みに入る。 うちの学校は大学まで一貫されているが、一応ある程度のラインは決めてある。 もしそこをクリア出来なかったら、就職。 もしくは外部受験をしなくてはならないのだ。 そして、常に赤点が2つはあるという若菜はもう崖っぷちだった。 若菜には悪いとは思いつつ、ここは請け負ってもらう為。 どうにか頼みこんでいると、やっと雅が折れてくれた。 「今週の土曜とかさ、追い込みで!」 「言っとくけど、私だって同じ日に試験あるんだからね」 「それは承知の上です!」 「……ほんと、少しだからね」 雅が負けたと言うように大きくため息を吐いた。 それを見て心の中でガッツポーズ!ついでにあたしも教えて貰おう、なんて都合の良いことまで考えていた。 「ありがと!雅!恩にきるよー」 「そうね、その恩をいつかきっちり返してね」 にこっと微笑んだその笑顔の裏には有無を言わさない力があった。 「え、ええもちろんですとも!」 大袈裟に頷いて、拳を掲げた。 それから毎日放課後、教室に残って若菜と二人で勉強。 金曜日の今日、分からない者同士じゃあまり捗る様子もなかった。 「あー明日か」 「なに緊張してんの」 青ざめたような顔して机の上に顔を伏せた若菜。 言い出したのは自分だったくせに。 「だってさ、あの雅さんだよ。ちょー怖いって」 「あのって、どの?」 『あの』と言うことは雅に大してなんらかの先入観が混じってるんだろう。 あたしが雅と仲の良い所為か、雅についての話はあまり耳に入ってこない。 その為、尚更気になって姿勢を低くしながら若菜を覗き込んだ。 「美人でクールな女王様」 「ぶっ…!」 頭の中で反復すると思わず噴出してしまった。 何と言えばいいのだろう。『女王様』とは、これほど雅に適した言葉はあっただろうか。 そして、偏見が実際とあまり違わないところがすごい。 「B組の生徒でさえも安易に近づけないって言ってるし」 「そーかな」 「そうだって!だからハルと友達だなんて聞いたときにはほんとびっくりした」 「へー」 そういえば入学してすぐには色んな人から雅のこと聞かれた。 あの容姿で雅は既に有名だったし、新入生代表の挨拶までこなしていた。 「ハルなんてさ、クールなんて微塵も感じないし」 どーしてそこであたしの話題に行くかな。 「まあスポーツできるから後輩には人気あるけど、近づきにくいなんてきっと思われたことだってないよ」 ありがとう。それはポジティブに親しみやすいと受け取っておくよ。 「だから、明日は憂鬱」 「でも赤点取ったら?」 「そう!留年の危機!」 頭を抱えた若菜を前に、もう頑張れとしか言えなかった。 「ハルはさ、好きな人とかいないの」 「……何を突然」 黙々と勉学に励んでいると、急に投げかけられた質問だった。 正直若菜とそういう話をしたことはあまりない。 というか、若菜以外でもだ。 大体恋愛の話には加わらなかった。 理由は、あたしが他の子と違うから。 無理に男の趣味を搾り出すのも苦痛だし、だからと言って正直に女の子が好きだなんていえなかった。 「なんとなく、ハルとそういう話ってしたことないなーって」 「そうだっけ」 勉強に飽きてきただけだろう、そう思っていたけれどどうも違うようだ。 いつになく真剣な顔している若菜を前に、どうもごまかせない雰囲気だった。 「好きな人、ねぇ」 思いを巡らせてみても、やっぱり出てきたのは先輩だった。 でも思い出してもちくりと痛むぐらい。もう、未練はない。 それよりも、問題はその後に出てきた雪乃さんだ。 日曜に会った姿がまだ鮮明に思い出せる。 考えただけで頬が緩みそうになるのは、ただの憧れだと言う証拠だろう。 だから、好きな人は今現在は不在というわけだ。 「女の子が好き、とか。おかしいと思う…?」 考えに耽っていた中、若菜の言葉にあたしの動きは完全にフリーズした。 「好き、なの?」 動きも何もかも止まったまま、恐る恐るたずねる。 何を慎重になってるんだろう。これはただの会話に過ぎないのに。 それでも、自分と同じ人間をどこかで期待している自分が居た。 「うん」 ゆっくり、若菜は頷いた。 午後7時を回った時間、あたしと雅はSKY LINEにいた。 「それで、明日勉強する場所決まったの?」 「え?ファミレスとかで良くない?」 「……」 雅的には良くなかったんだろう、穴が開くかと思う程睨まれてしまった。 しまったな、ファミレスでやるつもりだったから何にも考えてなかった。 学校でやるにしてもわざわざ制服でいかなきゃならないし。 「あ、二人とも来たね」 ひとりぶつぶつと考えていると、目の前まで歩いてきたのはユウさんだった。 今日はカウンター席からは程よく離れた席に座っている。 ヒールの音を響かせながら、ユウさんはあたしたちの席の空いている席に座った。 「ごめんね、わざわざ呼び出して」 「いいえ」 ユウさんの言葉に雅が首を振る。 それに便乗してあたしも頷いた。 今日この店に来たのは、いっちー経緯でユウさんから呼び出しをくらったからだ。 「二人ともそろそろ夏休みでしょ」 「はい」 「予定は?」 突然のその問いに、頭の中には何にも浮かんでこない。 夏休み、考えてもやることは遊ぶことぐらいだ。 「私は夏期講習がありますけど」 特に…、と言おうとすると隣から雅の声。 それを聞いて、雅が外部の大学を受けることを思い出した。 夏期講習なんて行かなくても十分に頭の良い雅だけれど、外部受験組としては当たり前なのかもしれない。 「そう。ハルは?」 「あたしは別に……」 ユウさんは何度か頷きながらニッコリ笑った。 「じゃあハルに決定」 「え?」 「夏休みの間、うちでバイトしてね」 「ええ!?」 驚いてガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。 さらっと言われたけど、それは疑問系ではなく命令系だ。 まるで断ることを許さないとでも言うように、目に見えない力があった。 「な、なんで…?」 「うちのバイトの子が今月いっぱいでやめるの」 もう求人は出しているらしいけれど、決まるまで人手が足りなくて困ると言う。 そこで、白羽の矢が立ったのがあたしと雅の高校生。 仕事は昼のカフェでの仕事らしいから高校生でも大丈夫だかららしい。 「うーん」 決めかねているあたしにユウさんが決定打を放った。 「それに、ここで働けば自然とみんな集まるし」 「みんな?」 聞き返すとユウさんの視線は雅へ移った。 一体なにを企んでいるのか、ユウさんにはどうしても構えてしまう。 「菜々世に佑樹、それから雪乃」 「はあ…、」 「雪乃なんて仕事場近いから良くお昼食べに来るし」 ここで雪乃さんの名前を出すのは卑怯だ!そう思ってユウさんを見ても、顔色は一切変わらない。 悪気なんてなさそうなのが余計に性質が悪い。 「そういうことだから、よろしく」 やっぱり、拒否なんて出来ない笑顔でそう言われたら断ることなんて出来ない。 「…わかりました」 そう応えると満足したようにユウさんはカウンターの方へ戻っていった。 何だか上手く丸めこまれたような気がしなくもないが。 「上手く乗せられたね」 「あ、やっぱり?」 気の所為じゃなかったのかと、ガクッと肩が落ちた。 そんなあたしを見ながら、雅は「あんた単純だから」と付け加えられた。 悲しいけど、もうそれぐらい随分前に自覚している。 バイトの話は夏休みに入ってからのことだからまだ良いとして、今は明日のことが先決だ。 ユウさんが来るまで、どこで勉強するかを考えていたんだった。 どうしようかと、再度思案し始めた時にそれを思いついた。 「そうだ!ここにしない?明日!」 「迷惑でしょ」 名案だとばかりに大声を上げても、雅は至って冷静だった。 それでも思いついてしまったのだ。 確認せずには居られなくて、ユウさんのところへ向かった。 「いいよ」 話の経緯を話すと、意外にもユウさんはあっさりとOKの返事をくれた。 あまりにも簡単な返事過ぎて、もう一度確認してみる。 「い、良いんですか!?」 「うん」 やっぱり返事は同じで、どうだとばかりの得意げな顔で雅を見た。 ふーっと息を吐いた雅は知らん顔だ。 まあ良いか、無事場所は決まったんだし。 「それなら私も明日は店出ようかな」 「はいっ!」 「それ二人でするの?」 「いや、あたしの友達と3人です」 「そう、菜々世も大変ね。二人の家庭教師」 ほんとそーですよね。 なんて相槌打ってたら後ろから雅が歩いてきた。 「しませんよ、二人なんて」 「えっ!雅!?」 この期に及んでやらないなんて、何事だと目を見開く。 すると雅から帰ってきた言葉は思いもよらないことだった。 「相沢さんの勉強はみるけど、あんたの勉強を見るとは言ってない」 確かにあたしは若菜の勉強を見てとは頼んだけれど、自分のことは頼んでいない。 でもあたしの中ではセットで教えてもらえると思っていたわけで。 「お、教えてよ!」 「二人なんて、無理」 そんなこと言わすに!と、泣きつけど雅の態度は一切変わらない。 知っている、こういうやつだっていうこは。 だけど、そうですかと引けるわけがないのだ。 「それならハルは他の人に頼めば?」 黙って会話を聞いていたユウさんがそう助け舟を出してくれる。 でも何だか楽しそうに笑ってるのは気の所為だろうか。 「他にって?」 「そうね、例えば…佑樹とか?」 「いっちーか…」 確かにいっちーなら頭も良いし高校の問題だろうと何だって分かりそうな気がするけれど。 いっちーは土曜日は大体いつも仕事だった気がする。 一応雅に聞いてみても、やっぱり同じ答えしか返ってこなかった。 だとすれば他に頼める人は…。 考えながらじーっとユウさんを見つめた。 「……あのねぇ、私が高校生の問題解けると思ってるわけ?」 「い、いやぁ…」 あはは、なんて笑いながら言葉を濁した。 出来そうに見えるけれど、ユウさんは駄目みたいだ。 となると、やっぱり自力でやるしかないか。 「自分の力でやりなさいよ」 「…ですね」 雅に思いっきり正論を言われて、素直に納得した。 今回は自分がさぼってたのが悪いんだから、頑張るしかないか。 「もう一人、いるけど」 「え?」 ユウさんの言葉に、雅とあたしの声が綺麗に重なった。 「ハルの知り合いで、高校生の問題も解ける頭の良いやつ」 それってまさか……。 ある人物が頭に浮かぶと、ユウさんがにやっと笑った。 その顔を見て確信した。ユウさんが考えている人、それはあの人だと。
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