■BLUE AGE─U
□秋 (2005/09/12(Mon) 15:58:19) 

 ─青。 


それは可能性。 
それは未知なる広がり。 


深みを増して、 
けれどなお澄み渡る。 



透明な時代も、 

残りわずか── 





■─restrict □秋 (2006/02/16(Thu) 15:28:46) あ、まただ。 彼女の姿が目に留まって、私は小さく息を吐き、そちらへと向かう。 「こら、樋山。その制服の着崩し、何とかならない?」 欠伸を噛み殺しながら教室へと入ってきたその人は、私をちらりと一瞥してもう一度大きく欠伸をした。 「もう、ほんとにだらしないなぁ。ネクタイちゃんと締めて。  上履きだって履き潰しちゃってるんだから。  せめてシャツのボタンくらいきちんと留めなさい」 いつも注意してるでしょ?と、彼女のシャツに指を伸ばして外れたボタンに手を掛けた。 「はいはい、ごめんなさい」 されるがままの樋山は大して反省を感じさせない口調で頭を下げる。 「風紀委員長様の手を煩わせてほんとにすみませんねー」 委員長自ら勧告してくれて感激ですよ、言いながら欠伸を一つ。 「…服装ごときで毎回毎回目くじら立ててうるさいやつだなぁって?」 かちんときた私は、ボタンを留め終えた胸元をとんと押して精一杯の嫌味を言ってみる。 樋山はというと、あははと邪気なく笑い、 「そこまで言ってないじゃーん。やだなぁ委員長」 愛想の良い目元をふにゃりと緩めた。 「委員長に構われるの嫌いじゃないし、あたしがだらしないから注意してくれんでしょ?」 樋山は眼前で恭しく手を合わせて「感謝してます」と、私を拝んだ。 …ずるいなぁ、この子は。 こうやっていつも樋山のペースだ。 邪気をすっかり抜かれた私はただ苦く笑むしかない。 はぁ、と。 溜め息を吐いた時。 「──…でもね」 拝む顔を上げた樋山は─ 「窮屈なのは嫌いなんだ」 自身の首元から一気にボタンをひとつふたつと外した。 うっすらと、白い肌と鎖骨が覗く。 「締め付けられるのは苦しいでしょ」 樋山は愛想良く垂れる瞳を鋭く光らせ、にっと笑った。 それで私は、いつも何も言えなくなる。 ふにゃふにゃと愛想の良い樋山の瞳は、とても優しく、そして時々冷たい。 委員会が長引くのはよくある事。 今日も風紀委員会は、生徒達の風紀の乱れについての議論で大盛り上がりだった。 話し合いを終え、書類を仕上げた頃には会議室には既に私一人。 この分では校内の生徒もほとんど下校しているだろう。 薄暗い廊下を歩きながらそう思ってみる。 まだ夕方だというのに、外はすっかり夜の気配。 冬の空だな、と。 窓から差す月の光を頼りに廊下を歩いた。 見慣れた自分の教室の前を通り過ぎようとして、その足を止める。 目を凝らして見てみると、窓際の席に突っ伏している人影が月明かりに浮かんでいた。 ゆっくり近付く。 寝息を立てるその人の肩にそっと触れて。 「樋山」 名を呼んだ。 珍しく樋山は、一度声を掛けただけでもそもそと身を起こした。 「ほら、起きて。帰ろ?もう暗いよ」 「んー…」 目を擦りながら立ち上がる樋山。 やっぱり制服を着崩している。 「起こしてくれてありがとね」 樋山はふにゃりと笑うと、くるりと背を向けて出口へと歩き出した。 束縛が苦手な樋山。 窮屈なのが嫌いな樋山。 それが何だ。 知った事か。 私は風紀委員長の使命を全うするのみ。 悪戯心が芽生えた私は前を歩く彼女を追い掛け、その背中に思い切り抱きついた。 首に腕を回し、きつくきつく締め付ける。 「縛られるの、嫌いでしょ?」 耳元で甘く甘く囁いてやった。 さぞかし驚いている事だろうと口元が綻びそうになるのを堪え、冗談だよと回した腕を緩めようとすると─ 「こんな枷なら悪くはないね」 優しい声が私に届いた。 振り払われると思っていた腕には、意外にも彼女自身の手が添えられて。 戸惑う私は、重なった肌から伝わる熱に浮かされ、樋山の肩に顔を押し付けるしかなかった。 くっくっと喉を鳴らす樋山が憎らしい。 きっとその目はいつものように愛想良く垂れているに違いないから。 縛りが解けるその前に、 この火照りを冷まさなければ。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13669 / inTopicNo.7)  ─fallin' ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(4回)-(2006/02/16(Thu) 15:32:01) 「あんたの話にはいつもオチがない」 さもつまらなそうに、目の前のカナコは言った。 「だらだらだらだら喋った揚句、で?続きは?それで終わり?なんじゃそりゃぁぁ!」 一人憤慨しているカナコを余所に、あたしはまた何を話そうかとのらりくらり考え始める。 「ねぇカナコ」 話し始めようと声を掛けると、カナコはキッとあたしを睨み、 「つまんない話したら怒るからねっ」 オチをつけろオチを、と。 もう怒っているじゃないかと思わずそう言いたくなるような口調でまくし立てるから。 あたしは開いた口を再びつぐんで、うーんと腕を組んで頭を捻った。 そして、椅子に腰掛ける彼女の隣に屈んで、 「あ」 視線の少し上を指差した。 カナコはあたしの声に釣られて顔を上げ、指先の方向をじっと見る。 「何?何にもないじゃ──…」 カナコの言葉を待たぬまま、あたしは空を仰いだ恰好の彼女の唇をそっと塞いだ。 ゆっくり、顔を離す。 「どう?話にオチついてた?」 にやりと笑うあたしに、 「…わたしが落ちたわ、アホ」 カナコは俯きがちにぼそぼそと漏らした。 その呟きを聞き逃してはあげないあたしは、にやっと口の端を持ち上げ。 顔を必死に隠そうとするカナコの顎に手を添えて。 わずかに上を向かせた彼女の額に、もう一度、キスを落とすのだ。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13670 / inTopicNo.8)  ─不器用な子供たち。《side A 》 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(5回)-(2006/02/16(Thu) 15:34:46) 冬の寒さが体の芯まで堪える、一月も半ば。 この日。 授業中だというのに慌てた様子の担任が教室に飛び込んできて、笹木を廊下へと手招いた。 そっと、担任は笹木に耳打ちする。 その瞬間─笹木の顔が青冷めて、普段の彼女らしからぬ足音を立てながら廊下を駆けて行った。 そんな様子を、私達クラスメートはきょとんとした顔をして見送っていたんだ。 すぐさまそのざわめきは授業の担当教師によって静められてしまったけれど。 …数学なんかよりも。 あんな悲痛な表情をした笹木の方が、よっぽど気掛かりだった。 結局笹木は、荷物もそのままに教室へは戻って来なかったから。 その日の放課後、寮に帰ってからようやく事の真相を知る。 どうやら笹木の祖母が倒れたらしい。 急を要する為、笹木は学校まで迎えに来た両親の車に乗り込み、そのまま祖母の元へ向かったと言う。 だからしばらく寮には戻って来ない、そう寮監の先生に聞かされた。 その間の代打寮長を、私と川瀬で代わる代わる引き受ける事になって。 夜の見廻りをしながら、おばあちゃん子の笹木の事だ、容態が落ち着くまでは学校休むだろうな、大した事ないといいんだけど、そんな事を考えた。 夜の廊下を一人歩く笹木は、いつも何を想っただろう。 ─その日の深夜、笹木の祖母は息を引き取った。 告別式や心身を立て直すのに費やしているのだろう、笹木が休み続けて十日が過ぎようとしていた。 彼女の居ない教室はどことなくぎこちなくて。 笹木の笑顔がここの空気を緩和していたのだと、改めて気付かされた。 「笹木大丈夫かなー。もう一週間以上経つし」 昼食用のメロンパンをかじりながら皐月が言った。 「向こうから連絡ないからさ、こっちからもメールしづらいじゃん?」 ねぇ?そう言う皐月に、パックのレモンティーを啜って私も頷いた。 どうしてるのかなぁ、陽子や弥生も心配そうに口にする。 川瀬だけは何を考えているのかわからないいつもの仏頂面で黙々と弁当を頬張っていたので、私は横目でじろりと睨み、ふんと鼻を鳴らした。 …本当に、笹木はどうしているのだろう。 レモンティーをまた一口、ずずっと啜る。 椅子の背にもたれ、うーんと大きく伸びをしてみた。 と─ 「皆、久し振り」 頭上から降り注ぐ柔らかな、声。 その姿を確認しようと、がばっと振り返った。 「笹木っ!」 皆が一斉に振り返る。 ふわふわと微笑む笹木がそこに居た。 「十日くらい顔を見てないだけなのに、すごく懐かしい気持ちになるね」 そう言ってまた微笑む。 急速に、場が和む。 もう平気なの?落ち着いた? そう口々に話し掛けるクラスメートに、笑って応えている。 程なくして、私達の元へ寄ってきた。 「笹木。もう…大丈夫?」 恐る恐る尋ねる陽子に、 「…ん。無事にお葬式は済んだし。それにね、おばあちゃん、最期は眠るように逝ったの。私がいつまでも悲しんでたら心配されちゃうでしょう?」 そう言って笑う。 「でも今こっちに戻ってきたんでしょ?今日くらい休んで、部屋でのんびりしてれば良かったのに」 そう言う皐月にも、 「んー…午後の授業には間に合いそうだったからそのまま来ちゃった」 笑って返した。 そしてこちらに目を向けると、 「茜と川瀬が点呼やってくれてたんだって?ありがとう」 ふわっと笑む。 「今日から寮に帰るから、ちゃんと私が仕事するね」 また、笑う。 いつもの笹木の笑み─…じゃない。 笹木はいつも、涙を見せない。 振る舞うのは笑顔だけ。 だけどそんな痛々しいあんたを、私は見てられないよ。 何も言わない私の顔を、どうしたの?怪訝そうに覗き込む笹木。 「…無理しなくていいよ」 私はぽつりと呟いた。 虚を突かれたのか一瞬笹木はきょとんとして、すぐさま体勢を立て直した。 また、ふふっと苦笑する。 「茜?何言ってるの?」 そんなに無理矢理笑わなくていいのに。 私は自身の腑甲斐なさに、奥歯をぎりっと噛み締めた。 笹木の家は両親共働きで、朝も晩もあまり笹木と顔を合わす事はなかった。 聞き分けの良い子供だった笹木は、それに対して何の文句も言わなかった。 代わりに、近くに住む祖母が、笹木の面倒を見てくれていたから。笹木のおばあちゃん。言わば、育ての親だったんだ。 いつも近くに居てくれたから、幼い笹木は寂しくなかった。 支えだった、祖母は。 その支えが折れてしまって、あんたがそんな風に笑っていられるはずがないだろう? 「ばればれなんだよ」 今度ははっきりと、強く告げた。 「──…え?」 笹木の目が思わずといった感じで、緩む。 「高校からのあんたしか知らないけどね、そんなに浅い付き合いしてきたつもりはないよ」 私は真っ直ぐに笹木を見つめる。 「何で我慢しようとするんだ。無理しないでよ」 せめて私達の前だけでは。 そう続けようとした時、 「無理なんか──…」 口元に笑みを添えたまま、笹木の頬を涙が伝った。 「…あれ?」 自身の手の甲で頬を拭う笹木。 「おかしいなぁ…何でだろ…?」 自分でも戸惑っているのか、ごしごしと目元を擦るが、流れ始めた涙は止まらなかった。 「───…っ」 笹木から笑みが消え、彼女は声にならない嗚咽を漏らした。 そして─ 「──ごめんっ…」 一言呟き、教室を飛び出して行った。 残された私達。 陽子と弥生は事態が飲み込めずにぽかんとしていたが、慌てて笹木の後を追って教室から出て行った。 皐月は事の成り行きを見届けるように、少しも動じずメロンパンをかじっていた。 さて、と。 彼女達では笹木の居場所を掴めないだろう。 私はぼけっと突っ立っている川瀬のブレザーの襟をぐいっと掴んだ。 背の高い彼女を、下から睨みつける。 「何してんだよ。早く行け」 川瀬は、はぁ?と私を上から見下ろした。 本当に癪だ。 何でこいつなんだ。 …でも、仕方ないんだよなぁ。 私は更に川瀬を睨みつけ、掴んだ胸倉を引き寄せた。 「何でわかんないんだよ!ルームメイトだろ?!笹木だっていつも笑ってるわけじゃないんだっ。泣きたい時もあるんだよ!あんた、あいつの笑顔に救われてるくせに、その笹木を一人ぼっちで泣かせとく気っ?!」 川瀬は、切れ長の瞳を微かに見開いた。 「…部屋に籠もって啜り泣いてるよ、きっと。どうせあんた、授業なんか寝てんだから、出ても出なくても変わんないでしょ」 言いながら、すっと川瀬のブレザーから手を離す。 ぽん、と。 小さく肩を押した。 瞬間─ 「あたし、早退するから」 言っといて、と。 耳元に低い声が届いて、川瀬はゆっくりとその長い足を踏み出した。 徐々に加速し、教室から駆け出していく。 そして私は、大きく息を吐いた。 自分から泣かせておいて…と、少し苦笑する。 完全に教室のドアから消え去った川瀬の背中を見送り。 口には出さないものの明らかに呆れ顔をしている皐月に気付かない振りをする。 どうせいつものように「ばぁか」とでも言いたいんでしょう? 何故自分で行かないのか、と。 何故川瀬に行かせるのか、と。 何が馬鹿なものか。 今の笹木には川瀬だ。 川瀬の方がいい。 私ではなく。 元気な時に更なる笑顔を振り撒くのが私なら、川瀬は笹木の微笑みを取り戻す。 それを私は知っていた。 こんなところで気が回る自分を少し恨めしく思いながら、けれど力不足は認めていたから。 さぁ笑え。 私がここまでお膳立てをしたんだ。 次にあんたを見た時は、きっと笑顔でいるはずだよね? 私も皆も、ここに居るから。 だから、ねぇ…頼んだよ、川瀬。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13671 / inTopicNo.9)  ─不器用な子供たち。《side C 》 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(6回)-(2006/02/16(Thu) 15:35:54) 完全に核心を突かれた。 あ、と思った時にはもう遅かった。 笑う事もできなくなった私は、逃げるようにしてその場から駆け出していた── 久し振りに足を踏み入れた寮は、昼間という事もあって閑散としていて。 久し振りに中を覗いた自分の部屋は、ルームメイトの性格そのものに生活感がまるでないさっぱりとしたもので。 その相変わらずさにほっとしながらも、立ち尽くしたままの私は、止まらない涙を流し続けた。 けれど、これも性格というものね。 私は声を殺して泣く術しか知らない。 ただ頭が痛くなるだけで、こうする事でどうやってすっきりさせるのかなんてわからなかった。 だから笑っていた方が楽なのに、それでも私の意志とは無関係に涙は頬を伝うから。 …私には、この止め方さえわからない。 「結局学校休んじゃった…」 何の為に教室まで行ったんだか、と苦い笑みが漏れる。 あんな風に立ち去った後では、 「今更戻れないよね…」 思う事をぽつりと呟いてみたら、 「いいんじゃないの、戻んなくて」 低く響く声が私を包んだ。 とっさにドアの方を振り返る。 「いっつも生真面目すぎるってほど学校行ってんだ。こんな時ぐらい休めば」 息を切らせたその人は後ろ手に部屋の扉を閉めて、ゆっくりとした足取りで窓際に立ち尽くす私の横に並ぶ。 「川瀬…?何で……」 私の問いを無視し、川瀬は呼吸を整えながら床にどかっと座り込んだ。 彼女の制服のシャツから覗く細い首筋には、うっすらと汗が滲んでいる。 「もしかして走ってきたの…?」 小さく尋ねると、川瀬はわずかにむっとしてぷいっと顔を背けた。 この仕草を、私は彼女との生活の中でわかりつつある。 照れているんだ。 そう思うと少しばかり可笑しくなって、そして何だか気が緩んだ。 溜まっていた何かを吐き出すように、喉の奥から鳴咽が漏れる。 それを必死に止めようと、私は口元に両手を添えて体を丸めるようにしゃがみ込んだ。 押し殺そうとして、それでも声は、想いは、溢れ出ては止まってくれない。 息が詰まる。 喉が熱い。 胸が灼けてしまいそう。 身を強張らせて、縮こまって、口元を両手で覆って耐える私に、 「我慢するな」 そっぽを向いて隣に座る川瀬が口を開いた。 「いいんだよ、我慢しなくて」 顔を向こうに逸らしたまま、言う。 ゆっくりとこちらを振り向いた川瀬は、私を見つめながら静かに手を伸ばした。 そっと、彼女の冷たい手の平が私の頬に触れて。 じわりじわりと目元が熱くなるのを感じながら、私は固く目を閉じた。 頬を、一筋の熱さが伝う。 その瞬間、川瀬が私の頭を引き寄せた。 「全部、吐き出しな」 手の平の冷たさと裏腹にふわりと包まれた川瀬の胸の温かさは、きっと彼女自身の優しさだったのだと思う。 「もう、いいから」 「───…っ」 ぽん、と頭を撫でられた瞬間、頑なだった何かは緩やかに崩れた。 うっ、と。鳴咽が漏れる。 次第にそれは大きくなって。 私の背中に回された川瀬の腕は優しい熱を帯びていた。 「泣きたい時は泣けばいい」 相変わらずの素っ気ない声で川瀬は言う。 そして続けた。 「皆あんたの笑顔が好きなんだ」 腕に、わずかに力がこもる。 「だけど辛そうに笑う姿だったら見たくない」 低く響く、穏やかな川瀬の声。 「だから泣く時は泣いて、そしてまた笑ってほしい」 優しく、優しく。冷たいけれど暖かい川瀬の指先が私の髪を撫でて。 「…もしも笹木が泣きたい時は、あんた一人じゃ泣かせないから」 また笑えるようになるまでこうしているよ、小さく漏らした。 川瀬の腕の中は心地が良くて。 うっすらと香る川瀬の匂いが私の鼻先をくすぐる。 ─私はきっと、此処でなら安心して泣けるみたい。 川瀬の腕に包まれた私は、この日、初めて泣いた。 彼女の胸に額を押し付けて、ブレザーの袖をぎゅっと握りしめて、声とも取れない声を上げて。 その間中ずっと、川瀬は私を抱き締めてくれていた。 この腕が欲しい、と。 側に居てほしい、と。 そう、強く思った。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13672 / inTopicNo.10)  ─不器用な子供たち。《side S 》 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(7回)-(2006/02/16(Thu) 15:36:58) ─もしも笹木が泣きたい時は、あんた一人じゃ泣かせないから。 小刻みに震える笹木の肩を抱きながら漏れた言葉は、多分、本心だったと思う。 この日、あたしは初めて笹木の涙を目にした。 いつもにこにこと穏やかに微笑んでいる笹木が、こんな風に声を上げて泣く姿を。 腕の中の震えが、少しずつ、少しずつ、治まってゆく。 まだわずかにしゃくり上げる笹木は、それでも呼吸を整えながら落ち着きを取り戻していた。 あたしの胸に押し付けた顔を離し、俯きながら鼻を啜る。 ゆっくりと顔を上げた笹木は涙で顔がぐちゃぐちゃだったけれど、確かに微笑んでいた。 いつものように、微笑んでいた。 「ありがと、川瀬」 鼻声ではあっても、おっとりとしたいつもの口調。 すん、と鼻をもう一度鳴らして、ふふっと笑う。 真っ直ぐに向けられる笹木の瞳が恥ずかしくて、先程までの自分の言動が照れ臭くて、思わず顔を背けてしまいたくなった。 だけど。 傾きかけた顔を引き止めて、あたしも笹木を見つめ返した。 きっと眉を寄せたしかめっ面なのだろうけれど、それでもあたしは精一杯に笑ってみせる。 笹木のそれとは比べものにはならない、苦い、苦い、あたしの笑顔。 そんなあたしに笹木は驚いたように目を見開いて、「今日は何だからしくないね」すぐにふわりと微笑んだ。 またひとつ、涙がこぼれてしまったけれど。 きっとそれは、悲しい雫じゃないはずだ。 互いの体が離れた後も、あたし達は部屋の片隅で隣り合って座っていた。 何も口にはせず、それぞれに違う方向を眺め、肩が触れ合いそうなわずかな距離を保ちながら。 繋がれた手だけは、しっかりと結んで。 薄情なあたしは、あんたの悲しみを背負って共に泣いてやる事は出来ないけれど。 あんたの笑顔のお陰で、仏頂面のこのあたしにもぎこちない笑みが宿るようになった。 だから今度はあたしが、あんたが声を上げて涙するのを受け止める場所で在りたいと。 …いや。 もっと単純な事だ。 ただ笹木の側にいたい。独りで泣かせる事はしないよう、すぐ手が差し出せるような、そんなすぐ側に。 そしてまた、笑ってくれたら。 そう、強く思った。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13673 / inTopicNo.11)  ─1% ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(8回)-(2006/02/16(Thu) 15:37:52) タッタッタッと、一定の足音を響かせて夕暮れのグラウンドを駆ける。 肌を刺すような冷たい空気が、鼻を、喉を、刺激する。 真っ直ぐに伸びた道を一気に駆け抜ける短距離走は勿論好きだけれど、より長く走っていられるという理由で、長距離走も好きだ。 単純に、走るという行為が好きなのだと思う。 だから時々、私はゴールを定めずにひたすら走り続ける。 ただ黙々と。 息が上がっても。 次第に頭はぼんやりしてきて、けれど冴え渡ってくる。 白く霞みがかっているようで、感覚は鋭くなるのだ。 この矛盾に、私はひどく惹かれる。 「茜っそろそろ上がるよ!」 部長の声に、引き戻される。 走っている最中の私の頭の中は空白だ。 はーいと呼び掛けに答え、あと2周走り終えたらアップしよう、思い直して、緩めた足を再び動かす。 ─せっかくイイ感じで入り込んでたのにな…。 一度引き戻された意識を、再び集中へと導くのは容易ではない。 そう思うと、さっきまでの高揚はどこへやら、頭の中が急速に冷えてきた。 アップも兼ねて、先程よりもペースを落とす。 グラウンドを見渡せば、陽はすっかり陰り、他の運動部は既に活動を終えたのか、人影もまばらだ。 校門には続々と下校する生徒達。 その姿が普段よりも多いので、疑問に思ったけれど。 そう言えば笹木が、今日は各委員会の会議があると言っていた。 道理でこの時間帯に部活者以外の人間の姿が多いわけだ。 うんうんと一人納得しながら、最後の一周へと突入した。 続々と下校する生徒を横目に、校門脇を通り過ぎる。 ふと、目の端に捕らえてしまった何かがあって。 それはいつもの私なら絶対に気にしていない、いや、気付かないもので。 いくらスピードを上げても振り払う事は出来なくて。 私の集中を奪った部長を少しだけ恨んだ。 動悸に合わせて息を吸う。 吐く。 繰り返しては、繰り返す。 それでも、集中の途切れた私の意識には様々なものが流れ込む。 それを振り切ろうとすればする程、余計に強く考えてしまうから。 浮かぶ顔は、なかなか消えてくれやしない。 人間の思考というのは厄介なものだ、と。 呼吸とは違う息をひとつ大きく吐いて、浮かんでくる思いに意識を委ねた。 ─何とかの半分はやさしさでできている、とか何とか。 よく耳にするような。笹木も、それと同じだ。 ただ、笹木はすべてがやさしさでできている。 半分なんてものじゃない。 そんなんで疲れないの?ってくらいに。 やさしい、やさしい、そんな人だ。 けれど。 100%やさしさ成分の笹木の99%は他者へのやさしさ。 残りの1%は──ある一人の誰かの為に注がれる。 笹木自身、気付いていないだろうけれど。 当人でさえも。 あらゆる人に平等なやさしさを振りまく笹木の、その1%の重みを、私は誰より知っていた。 そしてもう、わかっている。 わかっているんだ。 思えばいつも。 彼の人の視線の先はあいつで。 優しさの行方も。 悲しみの原因も。 想いの向かう場所も。 全部が──…あいつで。 川瀬には笹木が必要なんだ。 そして笹木もそれに応えようとしている。 …いや、そんな川瀬の側に居たいと、力になりたいと、笹木は心の底から望んでいる。 むしろ今の笹木の方が、川瀬を必要としているのかもしれない。 私は自分がどうするべきかも、本当はとっくに気付いていた。 先程のランニング途中、笹木と川瀬、校門を並んで出て行く二人を見て、チクリと痛んだ胸の傷みを、一生私は口にしない。 一月の乾いた風が熱の冷めない私の心を突き抜けても。 周回を2周走り終えても、私はひたすら走り続けた。 余計な事を考えずに済むように、と。 想いに霧がかかるまで。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13674 / inTopicNo.12)  ─やさしいひと ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(9回)-(2006/02/16(Thu) 15:38:39) いつも皆を笑わせて。 彼女の事も笑わせて。 そんな素振りは決して見せない。 気付かせない。 その茜が─ 時折愛おしむように、慈しむように、彼女を見つめる眼差しが、あたしには堪らなく切ないんだ。 そう── 茜がそんな顔をするなんて、本当に誰も知らないけれど。 今日もまた、いつものように茜と川瀬が悪態を吐き合っている。 それを見て苦笑する笹木の姿。 変わらない、普段通りの日常の風景。 ──本当に? あの日の、あの後。 笹木の背を追った川瀬。 二人の間に何があったのかなんて知らない。 けれど、そこに流れる空気の変化に気付かないほどあたしは鈍くはなくて。 その事にはとっくに気付いているはずの茜も何も口にはしないから。 正直なところ、あたしには何もわからない。 茜の想いも。 笹木の願いも。 川瀬の気持ちも。 何も、何も。 だからこうして、振る舞われる日常を黙って見つめているしかないのだ。 「もう、諦めた?」 その日の放課後、体育館脇の水飲み場でひとり顔を洗っている部活中の茜を偶然見かけて。 近寄ったあたしは、不躾な第一声を発した。 顔を上げた茜は訝しげに眉をひそめる。 「何、唐突に」 首からかけたタオルで顔を拭きながら、言った。 「気付いてるんでしょ?笹木と川瀬の事」 あたしの言葉に、茜は少なからずむっとした。 「何かあったな、って。気付いてるでしょ」 構わずあたしは続ける。 「何があったかなんて、私は知らないよ」 「やっぱりね」 そう呟くと、何が?と茜は睨んだ。 「向こうは何も言わないし、こっちも何も聞かない。だから事実は知らない。でも何かあったかはわかってるんだ、茜は」 そーゆー事でしょ?ふふんと笑ってみせると、茜は降参したように息を吐いた。 「──…あの時川瀬を行かせた事、後悔してる?」 静かに訊ねると、茜は苦笑しながら小さく首を横に振った。 「私が行くのは無意味だったよ」 「でも笹木と川瀬の空気が変わったのもあの日からじゃん」 「…あの日がなくても、多分こうなってたよ」 あれはただのきっかけだ、そう茜は苦く笑んだ。 歯痒い。 笹木と川瀬の関係に茜が無関係ならば、あたしなんてまるで関わりがないというのに、何でこうも歯痒いのだろう。 「二人の関係に気付いて、諦めた?」 ゆっくりと言葉にする。 茜は少し考えるようにして首を傾げて。 うーんと唸った後、ぱっと顔を上げた。 「諦めたっていうより、わかっちゃったから」 にっと笑う。 わからないという顔をするあたしに気付いていないのか、「うん…わかっちゃったんだよな」独り言のように口の中で噛み締める茜。 そしてあたしの顔を見た。 「笹木はさ、分け隔てなく人に優しいじゃん?だから皆に必要とされる。それに笹木自身も応えようとする。それじゃ疲れちゃうよ。誰もに必要とされる人にだって、必要とされるだけじゃなくて、自分が必要とする人が居るはずじゃん」 言っててよくわかんなくなっちゃった、茜は笑った。 あたしは笑わずに、茜をじっと見つめた。 「それが川瀬?」 「…今までは、さ。川瀬が笹木を必要としてるんだと思ってた」 濃い朱に染まる空を仰ぎ見て、白い息を吐き出すように茜はぽつりぽつりと言葉を吐き出した。 「でも今は、笹木の方が川瀬を必要なんだ」 多分、と。 茜は独り言のように付け加え、うんと頷く。 そして、あたしの顔を見て微笑んだ。 「人の事ばっかりの笹木が初めて欲を出したんだよ。欲しい、必要だ、って。それが私には嬉しい」 相手が誰であれね、冗談めかして笑う。 その相手は茜だっていいじゃないか── …そんな事、あたしにはどうしたって言えるはずがなかった。 彼女の答えは聞かずとも明らかだったから。 「私は、さ。一番になりたいとか、そんなんじゃないんだ」 ぽりぽりと頭を掻く茜。 「笹木が川瀬の側に居たくても。この先他の誰かを好きになっても。結婚して子供を産んで家庭を作り上げても。私はいつも笹木の近くに居る。友達って立場で。ずっとずっと笹木の味方で居るんだ」 そう言ってあたしに笑い掛けた茜は吹っ切れたような清々しい表情で。 何だか無性に泣き出してしまいたくなったあたしは茜から顔を背け、 「…つらくないの?」 そんな馬鹿な質問を投げ掛けてしまった。 ははっと苦笑する茜は、 「つらくはないよ」 優しい声でそう答え、 「徹するって、決めたから」 はっきりと、口にした。 その言葉で、 あたしは理解したんだ。 茜は気持ちを昇華させてはいない。 ただひたすら笹木の為に。 ただひたすら笹木を想って。 決して悟らせる事なく、一番近くで見守り続ける。 切ないよ、茜。 そんなのは、切なすぎる。 あたしは涙をぐっと堪えて、瞼をぎゅっと強く瞑った。 「茜はほんとにばかだ…」 小さく言うと、 「皐月には、何度ばかって言われただろうね」 目を開いて眼前で見た茜は、やっぱり穏やかに笑っていた。 何で泣くの、って呆れながら。 どうしたってあたしは、茜に肩入れしてしまう。 あたしを見ているようで── あたしを、 見ているようで──? …いや、違う。 茜はもう、自分の取るべき行動をすでに決めてしまっている。 彼女の事だ、それこそその姿勢を頑として崩さないだろう。 あたしは自分の姿を茜に投影していたけれど、あたしと茜は全然違う。 笹木を想って告げない言葉を飲み込む茜。 あたしが伝えないのは、いや、伝えられないのは─ ただ、恐いだけだ。 弥生の顔を思い浮かべて、きっとあたしは茜のようにはいかないだろうと思った。 けれど今は、自身の想いの行方よりも、茜の為に流せる涙がある事を誇ろう。 笹木を優しいという、そんな茜こそ優しいとあたしは思う。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13675 / inTopicNo.13)  ─ただ素直に ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(10回)-(2006/02/16(Thu) 15:39:25) 泣く必要なんてないんだよ、皐月。 誰にも知られるはずがなかったこの想いを、皐月だけは見届けてくれたじゃないか。 固く閉じた目の端からじわりじわりと涙を滲ませた皐月は、 「茜はほんとにばかだ…」 鼻を鳴らしてそう言ったので、私は思わず苦笑してしまった。 ほんとにもう… 「皐月には、何度ばかって言われただろうね」 へらっと笑ってみせる。 どうしてだろう。 穏やかな気持ちばかりが広がっていくのは。 何で泣くの、と苦笑しながら漏らすと、 「茜が泣かないからじゃんかー…」 皐月は情けなく呻いた。 あぁ、そうか──… だからだ。 制服の袖で目元をぐしぐしと乱暴に拭って、「見んな、ばか」と両手で顔を覆う皐月。 私は堪えきれず、はははと声を上げて笑ってしまった。 手の隙間からわずかに顔を覗かせた皐月がじろりと睨みつけていたけれど、それに構わず私は笑った。 恨めしそうにこちらを見る皐月も、観念したのか、困ったような笑みを浮かべた。 空は、どこかの誰かを切なくさせるような鮮やかな茜色が広がる、そんな冬の空だったけれど。 それでも私達は笑っていたね。 ありがとう、皐月。 見返りは求めていない、なんて。 嘘になるかもしれないけれど。 私が好きならいい。 私が笹木を好きだというその事実だけで、いい。 ただそれだけ。 ただ素直に好きと言う。 言えなくとも、思っていれば。 想いさえあれば。 願わくば、 君が笑顔でいる事を。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13678 / inTopicNo.14)  秋さんだ!秋さんだ!! ▲▼■ □投稿者/ さぼ 一般♪(15回)-(2006/02/17(Fri) 01:29:54) 初めまして! 随分前から愛読させて頂いてたんですが、どうも偉大すぎて書き込めなかったヘタれです。 やっぱ・・秋さんは凄いですね。 文章にもすごい引き込まれてしまいます。 青春だなぁ・・なんて思いながらも、ほんのりビター香るお話を これからも楽しみに待たせて頂きます。 なんってクサい事言ってるんでしょうね!体中痒くなりました!!(笑 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13788 / inTopicNo.15)  さぼさんへ。 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(11回)-(2006/03/02(Thu) 02:19:27) 偉大。 何だか私には不似合いな気がして、有り難い半面、照れ臭い思いです。 ありがとう。 ただただこの一言に尽きます。 嬉しい言葉をありがとう。 返せる何かを持っていないので、感謝の気持ちをを文章に乗せて、それが少しでも足しになればと思います。 (携帯) 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■13872 / inTopicNo.16)  ─shortcut ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(21回)-(2006/03/13(Mon) 15:34:08) ルームメイトが寝転ぶ床へと、あたしも静かに腰を下ろす。 ベッドで寝たら?なんて、そんな野暮な事は言わない。 代わりに彼女をクッションに、あたしも横になるだけだ。 「重い」 不平を漏らすその声はまったく苦しそうではないから、 「重いってば」 いたずらに腰へと腕を回して、背中に顔を押し付けて。 まるで甘える子猫のよう。 腹這いの彼女は身をよじり、あたしの髪をくしゃりと撫でる。 「猫みたい」 鼻にかかった声でそんな風にくすりと笑われたら、あぁ何だかくすぐったい。 「相変わらず柔らかい髪ね」 くしゃくしゃと弄ばれる髪。 彼女はゆっくりと身を起こすと、あたしの頭をお腹で抱えるようにして抱いた。 「いい匂い」 ふわふわとしたあたしの髪に、鼻先を埋めて。 「伸ばせばいいのに」 きっと似合うわ、と。 襟足のすっきりとしたあたしの首筋に滑らかな指を這わせた。 ぞくぞくして、どきどきして。 腰に回した手を淫らに動かしてみたら「くすぐったいって」笑う声がした。 そのまま二人してじゃれ合って絡まって。 なんてバカだろう。 なんてバカなふたり。 こんな風に抱き合って、穏やかな眠りについて、それならあたしはバカでいい。 「いい加減にしなさいよ、あんた」 彼女はしょっ中、ちゃらんぽらんなあたしに苛立ってそんな言葉を口にする。 喧嘩して呆れられ。 あなたに捨てられそうになったその時は、ご機嫌伺いにあなたがねだるようにこの髪を伸ばしてみようか。 そうは思うのだが、そんな事しなくてもこの先ずっとあなたがあたしの側を離れないという自信があるので、あたしの髪は短いままだ。 いつの間にか寝ていたようで、真冬だというのに床で重なるおバカがふたり。 首筋がすーすーと寒い。 独占欲の強いあなたが付けたあたしだけのシルシも、無神経なダレカに見られるのもいい加減癪だから。 襟足だけでも、伸ばしてみようか。 結局は、思うだけなのだけど。 だってあなたが、 「何で伸ばしてくれないのよ。髪の長いあんたも見たいのに」 そう言いながらも満更ではないように笑うから。 誇示欲の強いあたしは、首筋の赤いシルシを世間の皆さんに見せびらかす。 あたしはあの人の唯一人なのよ!って。 だからあたしの髪はベリーベリーショートカット。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14962 / inTopicNo.17)  ─内の鬼 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(2回)-(2006/06/12(Mon) 14:39:58) ─泣いちゃいな。 意地っ張りで泣き虫な私に、望はいつも、「早く泣いちゃいなよ」そう言いながら頭を撫でて、私の泣く場所になってくれた。 「豆炒ってきたよー」 大声を上げながら部屋へと入ってきた望は、香ばしい匂いの漂う大きな深皿を手にしていた。 中を覗くと炒られた大豆がぎっしり入っている。 「どうしたの、これ」 まだ湯気を立てているそれを指差して問う。 「さっき調理場借りて氷野ちゃん達と炒ったんだ」 答えながら望は、炒りたて大豆って美味しそうな匂いだよね、にいっと笑った。 つられて笑いそうになりながら、 「そうじゃなくて、何で豆?」 質問の仕方を変えてみた。 「あー気付いてないんだ。梢、今日は何日?」 逆に問われて。 「二月…三日?」 思い出しながら答える。 それが何?と言おうとして。 「…あ!節分か!」 ようやく思い至った。 「正解〜」 望はぱちぱちと手を叩いた。 「ほら、氷野ちゃんてこーゆーイベント事好きじゃん。有志でお金出し合って大豆大量に買ってきてさ、食堂のおばちゃんも協力してくれた」 たくさん炒って各部屋に配ったわけよ、にししと望は歯を見せて笑った。 「さぁさぁ食べよう。せっかくだから炒りたて熱々の内に召し上がれ」 私に皿を渡して促す。 いただきまーすと豆に手を伸ばす望を見て、 「撒かないの?」 節分の豆なんでしょ? そんな目を向ける。 望は口いっぱいに豆を頬張って、 「そんな事したら掃除大変じゃん。それにもったいない!」 ぽりぽりと音を立てた。 あまりのらしさについ笑ってしまう。 「望はほんと、色気より食い気だねー」 私も皿に手を伸ばした。 ぽり、固い音。 「そんな事ないよー」 望もまた豆を摘んだ。 ぽりぽり、かりっ、砕く音が響く。 そんなにがっついてよく言うよ、笑ってやろうとして。 「あたしさー、彼氏出来てさー」 噛むのも忘れて飲み込んで、危うく喉に詰まるかと思った。 「つい最近の事だから梢に言い損ねてたけど」 にひっと笑う。 「これからどんどん色気出していくよー」 おどける望に、思わずわしっと掴んだ豆を投げつけてしまった。 「わっ!いきなり何?!」 驚く望。 「ちょっと待った待った!」 望は狭い部屋の中を逃げ、私は彼女を追い掛け豆をぶつけ続けた。 二人してどたばたと走り回って数分間─ ぜいぜいと激しく息切れしながら床にへたれ込む。 「何なのよ、もー」 あたしは鬼かい?、からから笑う望を見て、私は「う゛ー…」と低く唸った。 「…どしたの?」 おどけたような表情をやめ、優しい顔をしながら望は私の側に寄る。 じっと確かめるように私の顔を覗き込んで、 「泣いちゃいな」 私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。 「早く泣いちゃいなよ」 ね?、笑いながら静かに髪を撫でる。 私はまた「…うー」と、声にならない呻きを上げて、ゆっくりと泣き出した。 「望のばかー…」 「さっきから何なのあんたは。小憎らしいっ」 望はおどけるような調子で笑って、ぐしゃぐしゃと私の頭を撫で回した。 あなたに泣かされた場合は、どうしたらいいのだろう。 鬼は外。 福は内。 鬼は外、鬼は外、鬼は外───…… あなたも私の内から出てってしまえ。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14963 / inTopicNo.18)  ─びたぁべぃびぃ ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(3回)-(2006/06/12(Mon) 14:41:08) 私の恋人はかわいくない。 「ばか」だの「へたれ」だの、口悪く罵る事は日常茶飯事。 休日だからどこか出掛けようかと誘えば、 「めんどくさい」 と一刀両断。 それでもようやく外に出て「昼に何食べたい?」と聞くと、 「肉」 なんとまぁ漢らしいこの一言。 今日も今日とて日曜日だというのに寮に閉じこもってごろごろしている。 私はというと、彼女の「ポッキー食べたい」という要望に応えて二月のくそ寒い気候の中、自転車でコンビニまでひとっ走りしてきたところだ。 肩で息をする私に、労うでもなくコンビニ袋だけ引ったくってまたベッドに戻っていく彼女。 これじゃあ単なるパシリだ。 私も大概甘いのかもしれないが、これはいけないんじゃなかろうか。 ここはびしっと、ね。 積極的にというか、リードしていくというか。 私がしっかり手綱を握って主導権を得るべきでないかい? なぁ、私。 胸中で自問自答し、よし!と、気合を入れた。 ベッドに近付き、仰向けの恰好で読書をする彼女の本を静かに奪う。 そしてゆっくりと跨がって、彼女を自分の下に組敷いた。 じっと、私を真っ直ぐに見つめる彼女。 「本、読んでんだけど」 その鋭い瞳に耐えきれず、視線を逸らし、 「…ごめんなさい」 思わず謝ってしまった。 あぁ、もう私の負けです…。 すごすごと彼女から離れてベッドを降りる。 背を向けて体育座りをして、はぁぁぁ、大きな溜め息を吐いた。 なんて情けなく格好悪い私。 そんな私に更なる追い撃ちをかけるように、背中越しに罵声を浴びせる彼女。 「ばーか」 …はい。 「へたれ」 ごもっとも…。 「何であそこまでやって手ぇ出せないかなー」 仰しゃる通りです…。 「あたしはいつまで待てばいいんだか」 まさにそう……───って、えぇぇぇぇ!? ベッドの方を振り返ると、彼女は拗ねたように唇を尖らせ、私の視線に気が付くとぷいっと顔を背けてしまった。 「いくじなし」 そしてわずかに耳を紅潮させて、いつもの罵声を吐いたのだ。 私の恋人はかわいくないけど、かわいい。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14964 / inTopicNo.19)  ─きゃらめるはにぃ ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(4回)-(2006/06/12(Mon) 14:42:10) あたしのパシリは。 あぁ間違えた、恋人は。 『へたれ』 表現するのに一言で済んでしまう。 ─優しいっていうより、甘ちゃんなのよね。 今日もあたしのわがままでこの冷え冷えする寒さの中をポテチを求めてパシリ中。 十数分で帰ってきて「はい」と袋を手渡される。 身を切るような寒さだったんだろう、頬も耳も、手の甲まで真っ赤だった。 ─嫌なら嫌って、文句の一つでも言えばいいのに。 彼女をじっと見つめると、「?」きょとんとした顔をしてへらっと笑った。 あたしはすっと手を伸ばし、指先で彼女の鼻をぎゅっと摘む。 「あだっ!何すんの!」 思わずのけ反った彼女をちらりと見て、 「間抜け面」 一言吐き捨て、ポテチ片手にあたしはベッドに潜った。 彼女の優しさに、時々ひどくイライラさせられる。 そんな事を思うあたしは、きっとどうしようもなく性格が悪いのだろう。 学校から寮へ帰宅するとちょうど大粒の雨が降ってきたところだった。 濡れずに済んで助かった、ほっと胸を撫で下ろす。 雨足はどんどん強まり、夕食を終えた頃には暴風雨になっていた。 「雨、強いね」 自室で数学の宿題に取り組んでいると、隣の机でも同じように英語のプリントと格闘している彼女が口を開いた。 カーテンを閉じていてもわかる、窓越しに打ちつける激しい雨。 「小腹空いたな」 ぽつりと言ってみる。 「おにぎり食べたい」 ちらりと彼女を見ると、「この雨の中を?」と言いたげに眉根を寄せた。 じっと、見つめる。 彼女は小さく息を吐いてから、立ち上がった。 「行ってくる」 言いながらクローゼットからコートを取り出そうとするので、あたしは彼女の背中に向かってノートを投げつけてしまった。 自分で言い出したくせに、とか。 勝手なのは十分わかっている。 けれど腹が立って仕方がない。 「痛いなぁ、もう。何すんの」 彼女は振り返って顔をしかめた。 ノートを拾って、あたしの元へやってくる。 「おにぎりいらないの?」 「いる」 「じゃあ買ってくるから」 「いらない」 「お腹空いたんでしょ?」 「行かなくていいってば!」 「…どうしたの」 彼女は困ったように笑いながら恐る恐るあたしに触れた。 そして髪を撫でる。 「わがままに手を焼いてる?」 視線を向けると、 「いつもの事でしょ」 目尻を下げてふにゃっと笑った。 …………もうっ。 「あんたはねぇ!あんたは───っ」 優しすぎる。 あたしのすべてを許してしまう。 苛立ちも不安も焦りも怒りも。そんなすべてを吸収してしまう、スポンジのような人。 目の前の彼女は続く言葉を待っているのか、「何?」と小首を傾げた。 「…お人好し」 「え?」 「はっきり言っちゃえばバカよ、バカ。そんなんじゃいつか騙されて痛い目見るんだから」 そんな可愛くない言葉しか口に出来ないあたしに、やっぱり彼女はへらへらと柔らかい笑みを向けていた。 手厳しいな、なんて。 ちょっと困り顔で。 甘い。 甘い、この人は。 とろけるように。 ばかで、へたれで、けれど甘ったるいキャラメルのような常習性─ あぁ、 胸焼けしてしまいそう。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14965 / inTopicNo.20)  ─秘め事 ▲ ■ □投稿者/ 秋 一般♪(5回)-(2006/06/12(Mon) 14:42:59) 深夜─ 寮の門限はとっくに過ぎている。 注意深く裏門から入り込み、角部屋の真横に佇む銀杏の木をよじ登って二階の窓をとんとんと叩いた。 一瞬間の静寂の後、カラカラと乾いた音を立てて窓が開かれる。 あたしは素早くそこから体を滑り込ませた。 「今日はいつもより早いのね」 静かに窓を閉めてカーテンを引いたルームメイトは、制服を脱ぎ捨てるあたしに近寄りながら言った。 「それでも門限は過ぎてるでしょ」 部屋着に着替えながらあたしも答える。 「ちゃんと誤魔化しておいたから」 彼女はあたしを引き寄せ、背中から抱き締めた。 「それはどーも」 襟足に顔を埋められ、首筋に舌が這う。 かかる吐息がくすぐったくて、思わず身をよじった。 体を離した彼女はあたしを向き合わせ、そしてゆっくりと唇を寄せた。 ─いつもの、儀式だ。 口止めだと、ルームメイトは言った。 寮生活の窮屈さにうんざりなあたしは毎晩毎晩夜遊びをする。 元々男友達の方が多いのだ、女子高の空気は息苦しい事他ならない。 外には彼氏だっているし、抜け出して遊ぶスリルにはぞくぞくする。 持ち掛けてきたのは彼女の方だ。 自分もグルになって見回りが来てもあたしがいない事を誤魔化してやる、と。 バレても構わない、そうも思ったけれど。 あまりに寮の規則に違反すると退寮、下手したら退学になりかねない。 「それじゃせっかくだからお願いしようかな」 あたしは言った。 「それじゃこれは口止めよ」 彼女は言った。 そして彼女は夜が来る度あたしに触れて、キスをする。 秘密の夜の共犯者だ。 「体、冷たい」 抱き締める腕を緩めて、彼女はあたしを見た。 「あぁ…今夜は特に寒かったから」 そんな事より、とあたしは彼女を促す。 「今日は何もしないの?」 ほら、顎を軽く上げて唇を突き出してみせる。 彼女は少し考え込んであたしの腕を掴んだ。 「……?なに?」 彼女は何も答えない。 代わりにあたしをベッドまで引っ張った。 どさり、静かに押し倒される。 ─嫌? 確かめるような、請うような、そんな瞳をしていた。 今まで彼女があたしにする行為は拙い口付け、それだけ。 初めて彼女が、あたしを求めた。 あたしは小さく、首を横に振った。 二人とも寝入ってしまったらしく、目を覚ますとカーテンの隙間からは薄い光が差していた。 剥き出しになった肩が冷えて身震いする。 布団を寄せて潜り込むと隣で眠るルームメイトがもぞもぞと動いた。 「起こしちゃった?」 声を掛けるとこちらを振り返り、 「眠れなかったわよ」 薄く笑った。 そしてごろんと仰向けになる。 しばらく天井をじっと見つめていた彼女はぽつりと呟いた。 「私、女の子しか好きになれないの」 「ふうん」 「…気持ち悪くない?」 「別に」 本当に、そう思った。 最初から嫌悪感はなかった。 不思議なほど素直に、受け入れていた。 口止めだなんて、口実だったのかもしれない。 そうでもなかったら、キスなんて、ましてや身を委ねるだなんて、さすがのあたしでもしない。 「今日も遅いの?」 出掛け間際に掛かる声に、 「うん、だからいつも通りよろしく」 ひらひらと手を振る。 わかった、そう言うように彼女はこくりと頷いた。 彼女とあたしの秘め事は夜毎募り、あたしだけの秘め事は今日も彼女は知らぬまま。 唇からの微毒は、少しずつあたしを蝕んでゆく─
■14966 / inTopicNo.21)  ─ショコラ ▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(6回)-(2006/06/12(Mon) 14:43:47) まーちゃんの結婚を知った日も。 まーちゃんの苗字が変わった日も。 まーちゃんに気持ちを告げた日も。 変わらず皐月は側にいた。 『あたしが居るじゃん』 そう言いながら、私の側に。 どんな思いで、皐月は私の隣にいたのだろう。 あの日、まーちゃんへの想いを吹っ切ったあの時に、私を腕に収めたまま人知れず流した皐月の涙の一雫を、私は今でも思い返す。 「おはよ、弥生」 教室に入ると、私の姿を確認した皐月がたたっと足早に向かってきた。 「古文やった?」 窺うように上目遣いで私を見る。 「またぁ?」 わざとらしく大袈裟に溜め息を吐いてみせるけれど、 「いつもありがとーございます!」 拝むように手を合わせてにかっと笑う皐月に肩の力を抜かれ、つい笑みが漏れてしまう。 「しょうがないなぁ、もう」 笑うのを堪えながらわざとらしく顔をしかめてノートを渡すと、「さすが弥生」調子良く受け取った皐月はさっさと自分の席に戻って行った。 せっせとノートを書き写している。 茜や陽子に茶々を入れられ、始めの方こそ構わないものの、結局最後はふざけ合う。 本当に、三人揃うとどうしようもない、いつもの風景だ。 私が見ている事に気付いたのか、ちらりとこちらに目をやった皐月はにかっと笑って手を振った。 私も小さく手を上げて、それに応える。 いつもの、皐月。 ──でもね? 私はもうすでに気付き始めている。 確信してしまっている。 「…うん、決めた」 ぎゃーぎゃーと、茜と陽子と騒ぎ合う皐月の姿を遠目に、私はぎゅっと拳を握った。 その日は朝から快晴だった。 放課後もなお雲の切れ間から太陽の光が漏れて、ぽかぽかとした陽気だった。 二月も中旬。 冬の色こそまだ濃いものの、春の気配がようやく感じられる季節だ。 つんと鼻の奥まで突き刺すような冷たさの中に薫る暖かな陽射しを浴びながら、そんな事を思った。 「弥生、今帰るとこ?ちょうど良かった、一緒に帰ろ」 昇降口で靴を履き替えていると聞き慣れた声を背に受けた。 「今日は一日中あちこちで甘ったるい匂いがしたよねー」 廊下をすたすたと歩いて来て下駄箱からスニーカーを取り出す皐月は、くんくんと鼻をひくつかせる。 「女子高でも二月十四日って一大イベントなのかね。あちこちで受け渡ししてたよ」 ふたり、並んで校門を出ながら。 「バレンタインだもん。女の子にとっては女子高でも何でも特別な日だよ」 言うと、「そーゆーもんかねー」皐月は欠伸を噛み殺しながら大きく腕を伸ばした。 「皐月は?」 ぴたり、と。大きく伸びた腕が動きを止める。 「皐月はあげないの?」 好きな人に、そう付け加えると、 「…あー」 足を止めた皐月はゆっくり腕を降ろしながら、 「あたしはあげらんない、好きな人には」 小さく呟いた。 私も歩みを止め、静かに訊いた。 「何で?」 ぐっと皐月は口をきつく結ぶ。 「何でだめなの?」 私から顔を背け、地面に視線を落とした。 「…好きになっちゃいけない人を好きになったから」 独り言のように、 「だから、あげらんない」 そう漏らす。 私は手を伸ばして、いつかの皐月がしてくれたみたいにくしゃくしゃと髪を撫でた。 ふっと笑って。 「私、チョコ大好きなのに」 びくっと肩を震わせ、皐月はばっと顔を上げた。 目を大きく見開き、驚いたようにまじまじと私を見つめる。 私は続ける。 「だから皐月から貰えなくて残念」 「気付いて──…?」 唖然とする皐月。 「ごめんね、今まで気付けなくて」 ごくりと、唾を飲み込むように。 皐月の喉が大きく動いた。 きつくきつく目を閉じて、眉根を強く寄せる。 私が何かを言おうとした時、苦しそうに顔をしかめていた皐月はぱっと目を開き、いつものようににかっと笑った。 「何だー、バレてたか」 ぺろっと舌を出し、おどける皐月。 「隠せてるつもりでばかみたいだ、あたし」 ばれてんじゃんねぇ、また笑う。 「弥生もわかってんなら言ってよ」 あははと声を上げて笑う。 そんな皐月を黙って見つめていると、みるみる目尻が下がって情けなく笑った。 「大丈夫、わかってるから」 手の平で顔を覆う皐月。 「ちゃんとわかってるよ…」 隠した手の隙間からわずかに見えた皐月の口元は、笑っているけれど震えていた。 「──…あたしじゃ真知の代わりにはなんない」 自分に言い聞かせるように言葉を吐き出し、ごしごしとブレザーの袖で目元を拭って、皐月はへらっと笑った。 「そうね」 私はひとつ息を吐き、努めて冷静に言った。 「皐月はまーちゃんの代わりにはならないね」 皐月の、口の端が歪んだ。 そして無理矢理笑って紡ごうとする皐月の言葉を── 「──…だよねー。あたしが真知の代わりになれるわけが───」「だって私は皐月が好きだから」 ──遮った。 「だから皐月がまーちゃんの代わりをしようとしたら困るの」 皐月がいいの、髪をぐしゃぐしゃに撫でて微笑んでみせた。 「ずっと私を見ていてくれてありがとう」 優しく優しく、口にする。 「好きよ、皐月」 自然と零れ落ちる言葉は、穏やかに響いた。 「今まで側に居てくれて、ありがとう」 ─これからも居てくれるでしょう? 静かに瞼を閉じた皐月の頬にすっと一筋、涙が伝って。 ゆっくりと瞳を開くと、 「当たり前じゃん」 あたしはこの先も弥生の側に居るよ、と。 にかっと笑った。 私があげたチョコを、皐月はしょっぱいと文句を言った。 それは皐月が泣いた後だからでしょ、口を尖らせて言い返すと、ばつが悪そうにはにかんだ。 初めて交わしたキスからはほのかな甘さのチョコの味がしたから。 やっぱり皐月の舌がおかしいんだ、もう一度文句を言うと、 「チョコの味なんてした?」 わかんなかった、とぼけるように言って、再び顔を近付けた。 来年は、互いにチョコレートを交換しよう。 そして、ずっとずっと私の隣で笑っていてね。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14967 / inTopicNo.22)  ─溺れる魚 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(7回)-(2006/06/12(Mon) 14:44:30) 地を蹴るわたしと。 水を渡るあなたが。 交わるはずなどなかったのに。 「水泳の授業、いつも見学してるけど何で?」 いつものように部活後の居残り練習をする椎名を壁際で眺めていると、ぷかぷかと水面を背に浮いていた椎名が唐突に口を開いた。 ぴちゃん、と。 水の跳ねる音が、二人だけの室内プールに響く。 少しだけ考えて。 「…私、泳げないから」 呟きを落とすと、声は広い室内に小さく反響した。 ざぱっと、水を漕ぐ音。 見れば椎名がこちらへ向かって泳いできていた。 プールサイドに手を掛け、体を一気に持ち上げる。 いつものようにぺたりぺたりと気だるい足音を立てながら、椎名は私の隣へと並んだ。 「私立だからって、こんな大層な施設があるせいで三学期にまでプールの授業なんて」 鼻息をわずかに荒げて。 「……まぁそのお陰で椎名が一年中泳げるんだけど、さ」 小さく付け加えたら。 ははっと、椎名は声を上げて笑った。 「それにしても八重がカナヅチなんてねぇ」 間延びした口調で言いながら私の顔を覗き込む椎名。 「あんなに速く走るじゃん。地上では敵なし!ってくらい」 水の滴る髪を左右に豪快に振る。 「…陸上部には私より速い人いるよ。それに地上と水中は勝手が違うのっ」 言うと、椎名は頭をぴたりと止めて私の目をじっと見た。 すると。 「あたしが教えてあげよっか?」 泳ぎ、と。 椎名は目尻を垂らしてふにゃっと笑った。 「八重はさぁ、運動神経いいから。泳ぎなんかすぐに覚えるよ、きっと」 形の良い顎から水滴を落としながら言う。 「走るのと一緒でさ、泳いでたら偏頭痛も忘れちゃうかもしれない」 のんびりと笑う椎名から滴るその雫をぐいっと拭って、 「そんな簡単な事じゃないの」 ぴしゃりと言う。 「昔溺れた事があるから…水辺に行くと恐怖心で足がすくんじゃうんだよ」 今はプールサイドから離れてはいるものの、あの側まで寄ったら、そう考えるとぞくりとする。 そんな私に、椎名は人事のように「ふーん」と言ったきりだった。 そして私の腕を掴んでぐいぐい引っ張る。 「ちょっ…椎名!人の話聞いてた?!私、水だめだって…っ!」 いくら叫んでも椎名は掴んだ腕の力を緩めずに、ずんずんとプールの側まで歩いて行った。 体が、強張る。 「椎名…ほんと怖いってば…」 弱々しく告げる私に、椎名は「だいじょーぶだいじょーぶ」と呑気に笑う。 次の瞬間─ 「そりゃー!」 椎名に体を投げ込まれ、二人で水へと飛び込んだ。 ────っ?! 水の中、もがく私。 ばしゃばしゃと手足をバタつかせても水を切るだけ。 パニックでどうしようもなくなった時、左手に何かが触れた。 必死にそれを掴んで、握り締める。 恐る恐る目を開けると、ぼんやりとした視界ににいっと笑う椎名が映った。 椎名は私を引き寄せる。 私はそれに身を預ける。 ゆったりとふたりの体は水中を漂って、しばらくの後、水面に出た。 「──ばか椎名!」 開口一番、私は怒鳴った。 「死んだらどうすんのっ」 涙目で訴える私に、椎名は相変わらずへらへらしていた。 「てゆーか、ここ足つくし」 ね、と笑う。 ………確かに。 浮力で体はふわふわしているものの、しっかり両の足には地面の感触。 必死の形相で怒鳴ってしまった恥ずかしさで顔が火照る。 熱を冷まそうと、ばしゃばしゃと塩素臭いプールの水で顔を洗っていると、 「怖い?」 椎名が口を開いた。 顔を上げる。 「ね、今怖い?」 もう一度確かめるように言う。 あれだけ近付くのすら怖がっていたのに、私の体は水の中だ。 「──…平気、みたい」 ぱしゃり、水の跳ねる音。 良かったと笑う椎名は、水に身を任せてぷかりと浮いていた。 「気が向いたらプールにおいで。教えてあげるから、泳ぎ」 言って、すいすいと自由気ままに泳ぎ出す。 私は何も答えずに、けれど大きく息を吸い込むと鼻を摘んで水へと潜った。 あなたの魔法で、わたしはさかなになる。 あなたとふたり、この冷たい水の中を、どこまでだって泳いでいける。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14968 / inTopicNo.23)  ─平凡だけどベター。 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(8回)-(2006/06/12(Mon) 14:45:20) 10年来の友人は、普段はぼけぼけとしていて頼りになるというには程遠いくせに時々妙に鋭い事を言う。 「最近何か悩みでもあるの?」 だからこの時放たれた言葉にドキリとして。 前後の会話と全く脈絡のない事を言い出す唐突で直球な彼女を、少しだけ恨めしく思った。 小さく息を吐いてから。 「別に?」 無駄だとわかりつつも、言葉を濁してみる。 「──ヒトミ」 案の定、素直に誤魔化されてはくれないわけで。 じとりとした視線を私に向けるタカコに気付かれないよう、また一つ、小さく息を吐いたのだ。 女の私が女の子を好きになっちゃった、なんて。 しかもその相手とうまい事いっちゃって付き合う事になりました、なんて。 そう言ったらあんたは信じる? どう言ったらいいものかと考えあぐねていたら、 「…私はそんなに頼りないかな」 タカコはぽつりと呟いた。 …何でそんな風に言うの。 言いたい事は沢山あって、聞かせたい事なんて山程溢れてるのに、それと同じくらい言葉にできない事だってあるんだよ、タカコ。 黙ったまま俯く私に、 「ごめん、困らせたいわけじゃないんだよ」 タカコは苦笑しながら言った。 「ただ最近のヒトミは様子が変だったから。だから悩んでるのかなって」 顔を上げると、目が合ったタカコは困ったように笑った。 「私の思い違いならいいの。でももし悩みがあったり、その悩みがヒトミを苦しめてるなら、私はヒトミを助けてあげたいって思うよ」 そして照れ臭そうに頬を掻く。 あぁ、この友人は─ 普段はぼけぼけとしていて頼りになるというには程遠いくせに、こんなにも私の事を強く思ってくれている。 「結局私はヒトミが毎日楽しそうで、幸せならいーの」 にっこり微笑むタカコ。 きっとこの友人ならば、私の隠し事にも「ふうん」なんて、さほど大した事ではないように言うんだ。 「タカコ、私あんた好きだわ」 ばかみたいに素直に口から出た言葉に、 「知ってる」 タカコはふっと笑った。 日々は穏やかに過ぎていく。 同性の恋人がいる私の日常だって平凡そのもの。 あんたがいるから、私は幸せ。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14969 / inTopicNo.24)  ─portrait herself ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(9回)-(2006/06/12(Mon) 14:46:18) カシャッ─ カシャッ─ シャッターが切られる音。 その瞬きほどの間に、すべてが刻み込まれる。 堪らなく好きだ。 「あれー、また来てたんですか三上先輩」 がらがらと扉の音を立てて部室に入ってきた後輩は私を見るなりそう言った。 「引退したらもう来ちゃいけませんかね」 カメラをいじる手を休めずに、嫌味たっぷりに清水を見る。 彼女はそれをものともせずに、 「そんな事言ってないじゃないですか〜」 からからと笑った。 「ほら、この時期あんまり三年生見ないじゃないですか。自由登校だし」 だから珍しくて、と笑う清水に毒気を抜かれ、この子はどこか憎めないなぁ、苦笑する。 「卒業も近いからね。できるだけ多く残しときたくて」 手中のカメラを撫でながら言った。 「来週ですもんね、卒業式」 ゆっくりと窓際に立つ私の横に並び、清水は窓のサッシに手を掛けた。 ─カラ 開け放たれた窓から三月の穏やかな風が鼻先をすり抜け、髪の毛先を弄ぶ。 「なーんかすっかり春って感じですねぇ」 のんびりとした清水の口調に、あぁもうすぐ自分はここからいなくなるのだ、どこか他人事のように思った。 ま、いいんだけどね─ 高校三年間はそれなりに楽しいものだった。 惜しむような名残りはない。 しかしこう考える事自体が何だか物思わしげで、一週間後に控えた卒業を目前にして、やはり私も少しばかり感傷的になっているのかもしれない。 思わず苦笑した。 窓の外に目をやる。 この一階に位置した教室はグラウンドに面していて、運動部の活気ある声がよく届く。 ちょうどランニングから帰ってきたばかりの陸上部がストレッチを開始していた。 そしてそれぞれに自身の競技種目の練習に散っていく。 無意識に、カメラを構えた。 記録を計るのだろう、トラックに短距離選手達が集まる。 ─あ、いた。 ファインダーを通して、屈託なく笑う姿が映る。 その場で軽く伸びをしながら、近くの選手と笑い合っている。 順番が来て、位置につくと。 表情が、一変した。 一点をじっと見つめて集中する、真剣な顔付き。 スタートした瞬間に口の端を持ち上げる。 走る事が楽しくて仕方がない、そんな顔。 完成されたような走る姿。 ゴールすると、ほっ、と息を吐いてようやく表情を緩める。 好記録だったのだろうか、無防備に笑ってVサインをしていた。 心底好きなんだろうな、走るのが。 そして私はファインダー越しに、やっぱりフォームが綺麗、いつもそう思うのだ。 「何見てんですか?」 ひょいと清水が私の隣から窓の外を覗き込む。 「あ、陸上部」 うちの陸部強いんですよね、そんな清水の声にふうんと生返事。 もう一度走らないかな、そう思いつつカメラを覗く。 彼女がスタートラインに立った。 「茜ちゃんだ。今から走るのかな」 のんびりと清水が言った。 「──…茜ちゃん?」 カメラを構えたまま、尋ねると。 「ほら、あの子。スタート地点に立ってる子。同じクラスなんです、氷野茜ちゃん。先輩知らないんですか?陸上部のエースですよ」 すっごく早いんだから、そう言う清水に、 「いや、知ってる。だけど名前は知らなかった」 答える。 「そりゃーさすがに見た事はありますよねー。体育祭大活躍だし、よく集会で表彰されてるし」 得意げに清水は言うから、「あんたは何も関係ないでしょ…」呆れたように言ってやった。 彼女が、走る。 相変わらずの綺麗なフォームで。 それを見届けてからゆっくりと窓から離れた。 机に近付く。 それに倣って清水もこちらへやって来て、 「うわっ、何ですかこの大量の写真は」 ぎょっとしたような声を上げた。 「今日は昼前から来て、溜まってたフィルム一気に現像してたんだ。さすが部室。機材が揃ってていいわ」 うきうきと笑う私に、 「先輩は写真部が好きで部室に来るってより、写真が好きなんですよね…」 清水は呆れた。 写真が好き、か。 正確には少し違うけれど。 写真が好きな事とカメラが好きな事。 その違いを説明するのはなかなか難しいし、私的なこだわりは単なる自己満足の領域だから、私は曖昧に笑ってみせただけで特に何も言わなかった。 「さ、整理するよ」 代わりにそう声を掛けると、「えぇ?私も?」とあからさまに清水は嫌そうな顔をした。 私はにっこり笑って有無を言わさない。 「うぇー…」 言葉にならない抗議の声を上げる清水も、渋々と机の上の写真を手に取った。 「部活中の写真が多いんですね」 種類ごとに分ければいいんですか?と、清水はてきぱきと仕分けを始める。 「そうねー。前は風景ばっかりだったけど。動きがある方が面白いでしょ」 一瞬の躍動─ その瞬間の表情、人の想い。 それを私は収めたい。 「わからなくもないです」 清水はふふっと笑った。 「私も風景撮るより人物撮る方が楽しいです」 仕分ける手を動かしながら言う。 「私の場合カメラの腕はまだまだだから、動いてる人間はぶれちゃうんですけどね」 日々精進ですっ、笑う清水に、私もつられて笑った。 他愛のないお喋りをしながら、作業は続く。 しばらくして。 ちゃっちゃっと手際良く写真を捌いていた清水の手が、ぴたり、と止まった。 どうしたの?と清水の方を見る。 「何か陸上部率が高くないですか?」 「そう?」 どれどれと写真を見ながら、ちょうど部室の目の前が陸上部の活動場所だからかな、思ってみる。 特別深く考えずに作業に戻ると、清水は納得のいかない様子でじっと写真を見ていた。 そして口を開く。 「やっぱりそうですよー。陸上部率高しっ!特に茜ちゃんが多く写ってるような…」 「あ、それはあるかも。何でだろ、ついついあの子目で追っちゃうのよねー」 清水の見つめる写真の一枚を手に取った。 走り出す直前の、ただ一ヵ所のみを目指す鋭い瞳。 我ながらよく撮れていると思う。 「フォームがすごく綺麗で、写真によく映えるんだよね、氷野さん」 姿勢が凛としてて被写体として惹き付けられるの、写真を見ながら目を細めた。 清水はちらりと窓の外に視線を向ける。 私もグラウンドに目をやった。 だいぶ陽が長くなったものだ、夕方のオレンジ色の空にわーわーと運動部の声が響いている。 「さっきは撮りませんでしたね」 ぽつりと、呟くように清水は言った。 「うん?」 「カメラ構えてたのに。見てたでしょ?茜ちゃん」 清水を見ると、彼女もまた、私を見ていた。 「んー…直前までは撮ろうと思ってるんだけどね」 そっと写真をなぞった。 そして両手の親指と人差し指とで四角を作って、フレームにしてみせる。 「こう、カメラ構えるじゃない?それでファインダー覗くでしょ?氷野さん、すごく綺麗でね。ついつい撮るのも忘れて見入っちゃう」 「そんな思春期の中学生みたいな事を…」 清水は呆れたように肩をすくめた。 そして、んん?とむず痒そうに唸った。 「ってゆーか、それって思いっ切り──」 言い掛けて、「やーめた」と口をつぐむ。 「なに?最後まで言ってよ、気になるじゃない」 問う私に、首を左右に振って。 「先輩自身気付いてないみたいだから教えてあげません」 よく考えればわかりますって、清水は悪戯っ子のように笑い、「後は自分で整理してくださいねー」写真を私に手渡して部室を後にした。 何だかわからない私はひとり部室に取り残される。 机の上の写真たち。 言われてみるまで意識はしていなかったものの、確かに他の運動部に比べて陸上部を撮ったものが多い。 中でも── 静かに窓際へと立った。 グラウンドの喧騒は尽きない。 カメラを構える。 マウンドに臨んでミットを睨むように見つめるソフトボール部員。 ─カシャッ 未だコートに立てずに隅っこで素振りをしているテニス部員。 ─カシャッ 今まさにコースに並び、スタートを切ろうとしている陸上部員を見つけて── ─彼女が走りを終えるまで、シャッターに掛かった指先は固まったまま動かなかった。 見惚れるほどの綺麗なフォームが、眼に灼きついて離れない。 ─もしかして…。 いやいや、待て待て。 それはないでしょ。 でもそう考えると辻妻が合う。 いや、だけど…。 まさか─… ─氷野 茜 先程知ったばかりの名前。 口にするのは憚られ、胸中で遠慮がちに呟いてみる。 ざわざわと、心臓がざわめいた。 「…まいったな」 へなへなと力無く床に座り込む。 「卒業前に心を残したくなかったのに…」 頭を抱えてうなだれる私の脳裏に、「わかりました?」にいっと意地悪な笑みを浮かべる清水が過ぎって、何だか無性に悔しかった。 胸を奥まで締め付ける鈍い痛みと、 じりじりと焦がれるような湧き上がる熱に、 もしも名が付けられるなら─ どうか、恋ではありませんように───…… 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14970 / inTopicNo.25)  ─春と修羅 ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(10回)-(2006/06/12(Mon) 14:47:07) 「あったかくなったね」 ルームメイトは言った。 「まだ寒いよ」 私は答えた。 「確かに空気は少し冷たいけど、陽射しが柔らかくなったじゃない」 もう春ね、自身もそんな春の陽射しみたいに彼女は柔らかく笑った。 「これからどんどん暖かくなってくよ。よかったね、光。寒いの嫌いだもんね」 部屋の窓から目を細めて沙織は外を見つめる。 「…春だって嫌いだよ」 私の言葉に振り向いた沙織はきょとんとした。 「花粉症だもん」 言うと、「そうだった?」ふにゃっと笑った。 「じゃああんまり開けっ放しにしちゃ悪いかな」窓を静かに閉めて、ベッドの縁に寄り掛かる私の隣に座った。 「高校生もそろそろ終わりかぁ」 独り言のように呟く。 「寮生活も終わっちゃうね」 私を見て、同室が光で良かった、微笑んだ。 思わず視線を逸らしてしまって。 変に思われなかっただろうかと、慌てて言葉を探した。 「いつ行くの?」 唐突過ぎたのか、沙織は再びきょとんとした。 「ほら、イギリス。卒業したら留学するんでしょ?」 沙織は「あぁ」と小さく笑い、 「式の次の日には出発するよ」 私を優しく見つめた。 …そう。 私は口の中で噛み締めるように呟いて、午後の陽射しが無遠慮に入り込む窓辺を恨めしい思いで睨んだ。 「卒業式も晴れるといいな」 ずっと先を見ている沙織の横顔を覗き見て。 春が来なければいいのに─ いっその事、冬のままで。 寒いのは大嫌いだけれど、それぐらいならいくらだって我慢してやる。 そんなばかみたいな途方のない祈りを、 奥歯が軋みそうなほどの情熱で願った。 あぁ─ 春が彼女を連れて行く。 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14971 / inTopicNo.26)  ─graduate from garden ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(11回)-(2006/06/12(Mon) 14:47:54) 桜が咲き乱れるにはまだまだ及ばないけれど。 それでもちらほらと、眩しい陽の光の中、季節は明るい色彩を放ち始めていた。 今日、あの人はこの学びの庭を去る。 厳かに進んだ卒業式は、卒業生はおろか、在校生や教職員、はたまた来賓席からも啜り泣く声が聞こえ、ましてや彼女らの旅路を祝福せんとばかりの日本晴れ。 良い式だったと思う。 ホームルームが終わると同時に教室を飛び出して、廊下を駆け抜け、階段を一気に降りる。 昇降口で上履きを脱ぎ捨てて、下駄箱から引っ掴んだローファーを履くのさえもどかしく、つっかけただけで走り出した。 名残を惜しむように、思い出に浸るように、式を終えても校舎内や昇降口、グラウンド、あちらこちらに人の群れができている。 人波を掻き分けて、あたしも目当ての彼の人を探し── やはり協調性や感慨など微塵の欠片もないあの人は、校舎を出ると真っ直ぐに伸びている道を、カメラ片手に記念撮影をしたり手を取り合って涙して別れを惜しむ人々になんて目もくれず、すたすたと足早に校門目指して歩いていた。 …あぁもう、まったくあの人は。 急いであたしもその背中を追い、校門を出る寸前でようやく追い付き呼び止めた。 「──咲良先輩っ!」 ぴたり、と。 歩みを止め。 艶やかな長い黒髪を揺らして、ゆっくりとこちらを振り返る。 良かった、止まってくれた…。 ほっと息をつく。 ぜいぜいと息切れするあたしの顔を確認して、「何だ、あんたか…」そんな風にとてつもなく嫌そうに顔を歪めて溜め息を吐いた咲良先輩を視界の端に捕らえて、あぁ相変わらず先輩は先輩だ、うんざりするほど痛感した。 早く帰りたいのに何なのよ、そういう目をあたしに向ける。 うぅ…。 頑張れ、千晴! 負けるな、千晴! 自分で自分にエールを贈り、呼吸を整え、やっとの思いで口を開いた。 「やー、いつも思ってたんですけど、あたしらの名前、ハルのサクラなんて、運命感じちゃいません?」 「字が違うでしょ」 「旅立ちの日に桜も満開で豪華絢爛っ!」 「まだ三分咲き程度」 「天候にも恵まれて卒業式日和ってゆーか…」 「雲出てきたけど」 「……相変わらずの冷静なツッコミありがとうございます」 ダメージを受けているあたしを尻目に、先輩はじっとあたしを見た。 猫のような切れ長の瞳が、違うでしょ、と言っている。 そんな事を言いにきたんじゃないんでしょ、と。あたしはぽりっと頬を掻き、そして姿勢を正して先輩に向き直った。 「咲良先輩、卒業おめでとうございます」 深々と頭を下げて、ゆっくり顔を上げてから先輩を真っ直ぐに見つめる。 「今日は最後の告白に来ました」 にっこり笑うと、先輩は無表情の顔をぴくりとも動かさず、わずかに溜め息を吐いた。 「あんたも懲りないわね」 無愛想な冷たい瞳であたしを見る。 「何度も言ってるでしょ。あんたの気持ちには応えない、って」 「その時はだめでも、言い続けてればどっかで良いと思ってもらえるかもしれないし」 大きく溜め息を吐く先輩に向けて、 「好きです」 言葉よ、届け。と。 伝われ。と。 「好きですよ、先輩」 にっこり笑う。 「脳天気に笑うのね」 先輩は吐き捨てるように言った。 「最後だって言うなら教えて。何で私を?」 煩わしそうに髪を掻き上げて、切れ長の瞳を更に鋭く光らせる先輩。 ふむ、と。 あたしは腕を組む。 「うーん…」 頭を捻って。 彼女のどこが好きなのか。 そう問われて考えてみたけれど、何ひとつ思うところはなくて。 けれど顔を浮かべたその時に、自然と笑みがこぼれてしまうから。 答えはそれだけで十分だと思う。 好きだと思う理由なんて。 それで足りる。 「わかんないです」 結論が出たところでそう言ってみせると、無表情な先輩がわずかに拍子抜けしたような気がした。 「正直色々あるんですけどね。そんなのは全部、後付けなんです」 理由なんてどーでもいいんです、笑うあたしを先輩は無表情に見つめていた。 「ただ…」 「ただ?」 「先輩はどんなにあたしがぶつかっていっても、欝陶しがるだけで無視する事はなかった」 本気で拒む事は、一度もなかったから。 「それって、結構嬉しかったんです」 へへっと笑う。 先輩は無言のまま。 そしてあたしを一瞥すると、 「馬鹿らしい」 くるりと踵を返して校門へと向かってしまった。 「え…ちょっと咲良先輩!まだ話済んでないでしょ!」 慌てて先輩を追い掛けようとすると、 「───千晴」 前を行く背中から聞こえた素っ気ない声に。 体が震えた。 ─千晴。 誰が呼んだのかくらいわかっているけれど、あの人が口にしたあたしの名前は、まるであたしの名前じゃないような、甘美な響きの言葉に聞こえた。 こめかみのあたりがぴりぴりと痺れる。 そこから動けずにいるあたしを、立ち止まった先輩は静かに振り返る。 緑の黒髪がさらさらと揺れる光景はやけにゆっくりと見えて、後になって思い出そうとするだけでも泣きたくなってしまうんだ。 「またね」 たったの一言、相変わらずぶっきらぼうに言い残して。 先輩はまた、あたしに背中を向けた。 その、瞬きをしたら見逃してしまいそうな一瞬間、無愛想な先輩の口角がわずかに上がったように見えた。 追い掛ける事などせずに、今度はその背を見送って。 あたしは深く深く礼をした。 ─卒業、おめでとうございます。 噛み締めるように呟きながら。 『またね』 ばいばいでもなく、さよならでもなく。 『またね』 短い言葉だけれど。 十分だ。 十分過ぎる。 ─今日は最後の告白に来ました。 前言撤回。 『最後』じゃない。 あの人は、この庭を去って。 もう先輩と後輩ではないけれど。 終わりじゃない。 ここから一歩踏み出して、新たに始めてやろうじゃないか。 end to restart─ 引用返信/返信 削除キー/ 編集削除 ■14972 / inTopicNo.27)  BLUE AGE─endroll─ ▲▼■ □投稿者/ 秋 一般♪(12回)-(2006/06/12(Mon) 14:49:15) 入学式だっていうのに、浮かない顔の私。 それもそのはず、見渡す限りの女、女、女の群れ。 せっかくの高校生活が三年間女子高だなんて…。 おまけに寮だって? 冗談じゃない! 青春を捨てているようなものじゃないか。 無駄に晴れた入学式の日の朝、桜並木をくぐる私の心は、地に沈むほど欝々としていた。 ──はずだけど。 入学して一月あまり。 見事に馴染んだ私がいる。 入学式で代表挨拶をしていた緩やかなウェーブの生徒会長はただ綺麗なだけでなく、まだ校舎の位置関係を把握できず迷子になっていた新入生の私に柔らかく微笑んで親切にも案内してくれた事に不覚にも喜んでしまったり。 時々中庭のベンチで見掛ける長身の少年のような上級生が、普段は怖いとしか思えないほどの仏頂面をしているのに、足下にじゃれつく野良猫にふっと目元を緩めたのを思いがけず見てしまい、何だかドキリとしてしまったり。 入部した陸上部の、寮生でもある先輩は明るく賑やかな人で、後輩からも同輩からも慕われて、そればかりか面倒見もとても良いものだから、部活に行くのも寮へ帰るのも何かにつけてうきうきしてしまったり。 なんだかんだで反発する気持ちもとっくに消え失せ、私はここでの生活をすっかり楽しんでいるわけだ。 何よりも── 「ハナちゃーん、掃除行こー」 私の名を呼ぶ声に、心臓をぎゅっと鷲掴みにされるような感覚を覚える。 そろりとそちらを見ると、教室の入口でユリが手を振っていた。 「ちょっと待って!」 私も大きく手を振って、慌てて鞄にノートを詰めた。 何故だか調子が狂う。 名前を呼ばれるだけで胸が打たれる。 顔を見れば嬉しくて仕方がない。 これは─? 「もー、ハナちゃん早くー」 少し急かすように呼ぶユリに、 「ごめんごめん!」 叫んで。 とりあえず今は、この気持ちの正体を保留にしておこう。 この先続く日々を、考えるだけでわくわくが止まらないから。 鞄を持つ手に力を込めて、私はユリの待つ教室の外へと駆け出した。 誰にでも訪れる、一握りの刻の流れ。 過ごした日々はいつか馳せるべき想い出に変わる。 忘れないで。 宿る胸の熱さを。 愛おしい、青の時代を─ 完結!
■後書きに代えて。 □秋 (2006/06/26(Mon) 00:02:52) BLUE AGEを開始してから長く月日が経ってしまいました。 マイペースにのろのろと書き連ねてきましたが、ようやく完結に至り、ほっとしています。 目を止めてくださった方の一時をほんの少しでも彩る事ができたなら、これほど嬉しい事はありません。 発した言葉の数々に意味を持たせる事はしませんでした。 けれど、誰かにとって意味があるものになれば、と。そう願います。 最後になりますが、ここまで読んでくださった方々、今までに感想をくださった皆様、全ての方に感謝を込めて。 ありがとうございました。 秋
完 面白かったらクリックしてね♪ Back PC版|携帯版